3日目 近鉄漕代から内宮まで

日時宿場天候所要時間歩数距離交通費
2003年8月16日松阪〜内宮7時間約29055歩21.3km5110円

漕代駅

宮川の渡し跡

宮川に架かる橋2
とりあえず、伊勢市まで行けば駐車場位・・・ない。
伊勢外宮なら・・参拝者専用1時間以内・・・かよ。
どーやっても5時間は停めるハメになるし、じゃ宇治山田まで行けばあるんじゃね?と行くと駅前に1日1500円の駐車場を発見した。
まぁ観光地プライスだがしょうがない。
車を置いて宇治山田駅からガラガラの各駅停車に乗って20分ほどで昨日のゴール地点漕代駅に到着。
まぁぼちぼちと10時49分伊勢神宮を目指して出発。
今日ゴールという事もあり着替えとか余分な荷物は全て車内に置いてリュックはアタック仕様なので非常に身軽だ。
なにやら祓川に架かる橋の真ん中あたりに線香とお供えがあった。きっと盆の送り火だかでご先祖さんを灯籠に載せて送っていったんだろうがこの増水具合じゃご先祖さんも大変な船出だったに違いない。でちょっと歩いたところに道標があり「従是外宮三里」と書いてある、つーことは外宮には2時くらいだな。ひたすらまっすぐだが
道ばたに落ちてる犬のウンコ
を避けながら油断ならない街道を1時間歩いた頃に今度は「従是外宮二里」、でこんなの坂とか呼ぶと箱根西坂やら小夜の中山なんか
崖!
と呼ばざるを得ないような非常に緩い坂の脇に「そうめん坂」と書かれた柱が立っていた。
でまっすぐだった街道は直角に折れ曲がり、名物?へんばもちを売っているへんば屋・・なんだか結構繁盛しているようだ。
まぁ赤福のように日持ちしない代物だと大変だしなと通り過ぎ、いい加減腹減ったのでちょいと街道逸れて、宮川駅の方に向かうが・・食い物屋無いのでトボトボと街道に戻るとうどん屋発見。
かやくうどんなどを頼んでおいしく頂き出発。
すでに地図が雨で判読不能だが伊勢街道の標識に導かれるまま進んでいくと宮川の土手に差し掛かる。
土手を降りると宮川の渡し跡があり遊歩道も整備されている。
で俺様の進行方向を見上げ細い橋に嫌な予感を覚えつつコケでズルズル滑る土手を上り、橋に辿り着くと
天竜川の悪夢再現!!
歩道無いし、乗用車がギリギリすれ違える程度の細い橋・・・
なんとか無事渡りきると伊勢の市街地なわけで、伊勢神宮はもうちょいだ。

山田上口駅

参宮線

名所案内

山田上口駅駅舎

やけにだだっ広い駅前通り

その先が伊勢街道

標識は全くない

右へ

筋向橋

外宮に到着

外宮に立ち寄る

鳥居

拝殿

勾玉池

勾玉池その2

でかい常夜灯
2009年11月23日山田上口駅〜内宮リターンマッチ と言うわけで、内宮〜外宮を大間違いした前回の伊勢神宮参拝の修正の旅である。度会川から外宮までの道も前回は怪しいので山田上口駅から筋向橋を経て外宮へ向かう。とりあえず宮川の狭い橋から続く道が、山田上口の駅から延びる無駄に巾の広い道にぶつかるところをスタート地点とした。

8:54 スタート
前回は筋向橋通ったんだろうか。宮川に掛かる細い橋を渡ってどうやって外宮までたどり着いたのか思い出せない。
まぁあの狭い橋があまりにインパクトありすぎて途中の記憶がぶっ飛んでいる。
筋   向   橋
所 在 伊勢市常磐町

橋のあらまし

 関西方面からの参宮道、相可・川端などを通る伊勢本街道と、
関東・中部方面からの参宮道、津・小俣などを通る伊勢街道は、
ともに筋向橋で一つになりました。ここからは整然と市内に入
りました。
もと道筋と橋の板が、
すじかいになっていたこ
とからこの名があります。
古く反り橋でしたが大正
四年(一九一五)から平橋にな
り、昭和三年(一九二八)から
コンクリート橋になりま
した。
 下を流れる川は、宮川
の支流の清川です。昭和
四十五年暗渠になりまし
た。
 古くから造替のときは、
地元からの寄金でまかな
いました。嘉永二年(一八四九)
には飾りの擬宝珠もつけ、
それに主な寄附者の名を
十四名刻んでいます。
 橋の近くにもと当市の
道路元標もありました。
-@またJR(旧国鉄)も明
治三十年(1897)開通以来
筋向橋でありましたが、

 


筋向橋からは外宮までは10分足らずの道のりである。

豊受大神宮(外宮)
御祭神豊受大御神
御鎮座雄略天皇ニ十二年
 豊受大御神はお米をはじめ衣
食住の恵みをお与えくださる産
業の守護神です。
 今から千五百年前に丹波国か
ら天照大御神のお食事をつかさ
どる御挺都神としてお迎え申し
上げました
 御垣内の御饌殿では 毎日朝
タの二度 天照大御神に神饌を
たてまつるお祭りがご鎮座以来
一日も絶えることなく行われて
います
 御遷宮は内宮と同じく二十年
ごとで 平成五年十月五日に行
われました。
 
外宮を後にしようとすると警備員に立ち止まっててくださいと言われ、なんだろと思っていると一台のセンチュリーが出てきた。なんかお偉いさんの参拝かと思ったが三重ナンバーで緑のナンバープレートではないからハイヤーではなく伊勢神宮のお偉いさんがどっかに出かけるところだったらしい。で警固の人等がセンチュリーの周りを囲みしずしずと進む後をおいらも続いて歩いてなんだか警固の一団になってしまったようだった。
そんなわけで外宮を後にし前回は地図が雨に濡れて役に立たなくなったため適当に歩いた内宮までの道をちゃんと歩いてみた。

2009年11月23日山田上口駅〜内宮リターンマッチ 外宮参拝編 おわり

 内宮リターンマッチにワープ

外宮の鳥居1

外宮

多賀宮

外宮の外の休憩所
そんなわけで14時05分に無事外宮の鳥居をくぐり、ゴールその1なわけでさすがのおいらも玉砂利を踏みしめると神妙な気持ちになるが何を祈願しようか・・・とりあえず世界平和と俺様にもちょっと幸せわけてくれよと厚かましいお願いする。
ほかにもお宮さんがあるのでまずは多賀宮に行ってみる。
さっき本家には10円を賽銭箱に入れたので別宮なら5円でいいやと無茶苦茶な判断基準でお参りし、えーとこちらでは何を祈願しようか・・・。

さっきいちゃつきながら参拝したカップルがキレイさっぱりお別れ出来ますように。
さっそくなんか激しく言い合いしているぞ。またえらい即効性だ。
こんなことならちゃんとお願いしておけばよかった。
で内宮に向かう前に休憩所で一服。緑と赤のコントラストが素晴らしい。
さてそんじゃま内宮にもお邪魔させて頂きますか・・・もちろん歩いて・・・って結構あるじゃねーか。

県道32号を渡り保育園を左

左折したところ

濱田国松屋敷跡

信号まで真っ直ぐ進む

信号を左・・違うようだ

伊勢市のマンホール

近鉄線の高架をくぐる

特急列車通過

小田橋

勢多川上流側

勢多川下流側

対岸の小田橋のたもと

緩やかに坂を上る

間の山お杉・お玉の石碑

古市バス停

近鉄線伊勢市側

近鉄線鳥羽側

伊勢自動車道

月読宮の道標

行き止まり?

巨大な常夜灯

坂を下る

山の斜面に石碑がある

番屋跡

猿田彦神社

宇治浦田町交差点

おかげ横町

内宮に到着

スゲー人だ

五十鈴川

五十鈴川で手水を使う

なんかイベントがあるらしい

拝殿

式年遷宮の御敷地

大御饌の儀

この人達って常勤なのかしら

大御饌の儀の隙にあちこち回る



橋も架け替え中

前回はこの辺でラーメン食べたような

月読宮

五十鈴川駅

五十鈴川駅駅舎

五十鈴川駅ホーム

てこね寿司

工事中?
というわけで、前回は古市のほうを全くすっとばしてしまったのでちゃんと歩こうとしたのだが二手に分かれる県道のどれを行くのか正解なのかしばし悩む。まぁとりあえず目の前の県道32号を渡り保育園の角で左折。
100mも進まないうちに信号をみちなりに右へ行くと濱田國松邸跡と刻まれた石碑と顕彰碑が建っていた。かつての政治家のようである。
で信号を右という印象が頭にこびりついていたため、先ほどの保育園から信号を道なりに右に進んだことなどすっかり忘れて、この先の信号で右折。
しばらく歩くと犬がきゃんきゃん吠えている。そこでふと気になって地図を確認すると曲がらなくて良いところを曲がってしまったようだ。
もと来た道を戻って、正しい方向へ進むと近鉄の高架をくぐって勢多川に掛かる小田橋にたどり着いた。
歴史の中の小田の橋


勢田川の
このあたりは、むかし
「御贄川」と呼ばれた
 時代がありました。
 御贄とは
神様に奉る
お供物のことで
神宮の御始(御供物)をここを通って
運んだからでした。
小田の橋は
この川に古くから
かかっていました
そして
江戸時代になると
多くの文書にその名が
書かれています。
それは、この橋が
外宮と内宮をむすぶ
参宮街道にあって
よく知られた
橋だからです。
この橋をわたって
むこうにみえる
尾上坂をのぼり
日本の五大遊里の
ひとつ古市(間の山)を経て
内宮へいたる道は
かつてお伊勢参りの人々が
たどった歴史的な道。
往時のにぎわいが
しのばれるところです。

またその当時
内宮・外宮の御遷宮用材が
この橋詰に着き
内宮への御木曳きが
ここから行われたことも
ありました。

新しい小田の橋は 
勢田川の改修にともなって
昭和六三年三月造替
長さ三二・二米 幅七・二米 
らんかんを飾る擬宝珠は
かつて、徳川三代将軍家光の
養母である春日の局が
寄進したという
故事にならって
つくられました。

 


江戸時代中頃の小田橋から常明寺門前町(現倭町)付近の図(文化12年(1815)伊勢山田之図より)

「伊勢にいきたい伊勢路がみたい、せめて一生に一度でも」と道中
伊勢音頭にうたわれたように、江戸時代伊勢参りは庶民の夢でした。
全国津々浦々から胸躍らせて伊勢参りに向かう人々、特に慶安3年
(1650)、宝永2年(1705)、明和8年(1771)、文政13年 (1830)、慶應3年
(1867)の「おかげ参り」には全盛期を迎え、多い時には半年
間に約458万人の参拝者があったと記録に残されています。
 外宮から内宮へ向かう古市街道は伊勢参りともに栄えました。その
中でも古市は、江戸の吉原・京の島原と並ぶ三大遊郭があり、全盛期
には妓楼70軒・遊女1000人を数えました。特に油屋・備前屋・杉本
屋は古市の三大妓楼として有名でした。寛政8年(1796) に油屋で
おこったお紺と孫福斎による殺傷事件は、後に近松徳三により「伊勢
音頭恋寝刃」という歌舞伎になり、現代でも演じられています。
 当地で行われた伊勢歌舞伎は、江戸と上方の中間にあり、かつての
松本幸四郎・尾上菊五郎らも来勢し、役者の登竜門として有名でした。
また. 千束屋(ちつかや)は『東海道中膝栗毛』の弥次・喜多の図に
もみられた妓楼でしたが後に貸衣装尾に転じ、伊勢歌舞伎を支えまし
た。唯一現存する麻吉、昭和40年代まで存在した大安なども古市を代
表する旅館でありました。
 その他、現在の古市街道周辺には、お紺の墓のある大林寺、千姫の菩
提寺であり画僧月僊が住職であった寂照寺、天佃女命(あめのうずめ
のみこと)を祭神とする長峯神社、桜木地蔵など、往時を偲ばせる施
設がいくつかあります。

 

小田橋を渡り緩やかな坂が次第に傾斜を増していくと古市だった。あちこちに石碑などが残っているものの静かな住宅街となっており 往時の繁栄ぶりはうかがうことはできない。
 
古市には天明年間(一七八一−一七八八)頃妓楼は
七十軒余あったと言われる。この備前屋は牛車楼
ともよばれる古市著名妓楼のひとつであった。
 

備前屋跡

 
旧古市遊郭の代表的に妓楼
歌舞伎「伊勢音頭恋の寝刃」の舞台で知られる。
 

油屋跡

坂の頂上には古市バス停があり、さらに進むとさきほど高架をくぐった近鉄の線路を橋で越え、さらに伊勢自動車道を橋で越えるとベンチと側に自販機があったのでコーヒー飲んで休憩。しばらく進むと月読宮の道標があった。まぁ帰りに時間があったらよろっかなぁと思ったが帰りに見たら本殿は森の奥深くに有るみたいだったのでやめておいた。
で月読宮の道標の先は道が狭くなっており通り抜けることができるか若干不安になった。
右に曲がる道のほうが巾も広いし・・・まぁこういうときに頼りになるのが電線なのだが、電線は真っ直ぐ延びている。
じゃあ直進だなと進むととてつもなくばかでかい常夜灯が2基ならんで建っていた。
こんなもの奉納するくらいならその金を子孫に残した方がよっぽど感謝されるぞ。おまけに伊勢参拝のメインルートから外れておいらのような物好きしか歩かないのにと思っていると左手の山林にも常夜灯があるわあるわ・・。
坂を下る途中にはこんな説明が刻まれた石碑が建っていた。


旧参宮街道の牛谷坂と宇治の街並みとの間に設けられ俗に黒門と呼ばれ、明治維新までここに番屋があった。


坂を下りきったところには猿田彦神社があったので寄ってみる。
でメインの猿田彦神社を参拝し、同じ敷地にある佐瑠女神社の御利益に"縁結び"とあったのでこちらも念入りに参拝する。が残念ながら御利益を授かることはできなかったようだ。

佐瑠女神社
御祭神   天宇受売命
例祭日   八月十七・十八日
月次祭   毎月 二十一日
天孫「ににぎの命」御一行を待ち迎えられた猿田彦大神と
最初に言葉をかわされたのが御祭神です。
天孫御一行を日向の高千穂峯に導かれた後、本来の地に戻ら
れる大神様とともに伊勢においでになり、「さるめ」という
姓をいただかれました。
 「あまてらす大御神」が天岩戸に籠られて世の中が暗闇の様
になったときに岩戸の前で舞踊をされて、元の明るさにもど
る機会を作られた話は良く知られています。
そんな事から「芸能・鎮魂・縁結び」の祖神としてお祭り
されて来ました。また、元気で明るく、おおらかな女性の神
様として、自立し誇りをもって生きようとする人々にとって
大切な存在でもあります。
 
で宇治浦田町交差点を渡り、おかげ横町で土産物をチェックしながら内宮へ向かう。
11時前なので昼飯にもちょっと早いしなぁと帰りに伊勢うどんでも食べられそうな店をチェックしておいた。

10:53 ゴール

所要時間 2時間1分 11068歩 7.75km
  で祭礼の時に来ちゃったのか三連休だからかよくわからないがとんでもない人混みである。
なんだか装束をまとった神職が並んで歩いているところに人垣ができているが、五十鈴川の手水場のほうは閑散としていたので前回は果たせなかった五十鈴川での手水を済ませることができた。参拝を済ませると相変わらず神職の行列に人垣が出来ている。

  神宮式年遷宮について

ここは西の御敷地です。
東の御敷地と同じ広さがあり、 ニ十年に一度、
御正殿を始め、御門、御垣などの御建物と
御装束神宝のすべてを新しくして、大御神様に
新宮へお遷りいただくお祭りが式年遷宮です。
天武天皇の仰せにより、次の持続天皇四年(六九〇)に
第一回が行われて以来、現代まで千三百年間に
わたって受け継がれてきました。
来る平成二十五年の第六十二回式年遷宮には、
ここに新しい殿舎が建てられ、大御神様のご遷座を
仰ぎます。
この大祭には古代より常にみずみずしく、
国も人も若がえり、栄え行くようにしとの
深い祈りが捧げられてまいりました


神宮司庁
 

遷宮後はこちらに移る
あとで調べると大御饌の儀というのをやってたらしい。人がそっちに集中している間にあちこち回って伊勢神宮を後にした。
でおかげ横町で昼飯でもと思ったが重い荷物背負ったままお店に入るのもなぁという感じだったので、店先で売ってた手こね寿司を買い求め、 赤福でもと思ったらなんだかすごい行列になっていたので、名古屋駅で買うことにしてその他お土産なんか買って宇治浦田町交差点に出てきた。
3日間いっぱい歩いたので宇治山田方面に行くバスを探すがよくわからんので前回同様五十鈴川駅まで歩くことにした。
前回はあのへんでキムチ載せ放題のラーメン屋で腹ごしらえをしたのだが跡形もない。どうもおいらは道や風景など目で見たもの忘れても食べたものは忘れない胃袋に直結したいやらしい記憶力を持っているらしい。
今回は地図があるので旧道サーチエンジンに頼らず国道23号そして県道12号と最短距離で五十鈴川駅に向かう。
道中、月読宮があったが、森の奥深くに本殿がありそうなのでパス。
そして30分余りで五十鈴川駅到着。それほど待つことなく名古屋行きの特急が来るようなのでそいつに乗って帰路に就くのであった。

2009年11月23日山田上口駅〜内宮リターンマッチ おわり


内宮入口

木橋

五十鈴川上流側

五十鈴川下流側

内宮
結局1時間ほど歩いてようやく内宮に到着15時25分内宮の鳥居をくぐりゴール。しかしまた祀ってある神様のクラスが最上級なだけに警備が物々しい。で本来手水は五十鈴川の畔でやるらしいが五十鈴川が増水しているので手水はここでと書かれた手水所でえーと左手右手の左手添えて口をゆすいで・・・ってさっき外宮で清めたばかりだが・・・などと思いつつ玉砂利を踏みしめ階段を上り内宮参拝。とりあえずお守りとお札なんか求めてさーて次は草津から江戸目指して中山道でもやっつけるかなぁ等と早くも次の計画が脳みそをよぎりつつ観光客で賑わうおかげ横町で、ローカルフードを求めて魚屋に入るとサメのたれなる強そうな食べ物発見。房総でクジラのたれ、西伊豆でイルカのたれをやっつけたチャレンジャーな俺様としては素通りできませんなと購入。(でも食べたら白身魚のみりん干しって感じでクセもなくおいしく頂けました。)でふと見るとウツボが結構良い値段で売られていた。これだと俺一晩で2万円位釣り上げているんじゃ無いのかと思いつつ、バス停に出ると結構な列だったのでまだ10kmは歩けるだけの体力あるしと最寄り駅の五十鈴川まで歩いちゃえと・・・結構有るじゃないのしかも太い道をまっすぐ進めば駅なのに今回の旅でさらに強化された俺様備え付けの
「街道自動補足機能」
により道幅と家並みから歴史有る道を勝手に進んでしまい、右二見鳥羽道、左さん宮道などと記された年代物の道標に出くわしたのは良いけど確実に駅から遠ざかっているぞ俺。
で途中腹減ったのでキムチ載せ放題のラーメンなんかやっつけなんとか五十鈴川駅に到着。程なくやって来たガラガラの電車に乗り込み、宇治山田駅に戻ってきた。ここでも土産物を物色し徒歩30秒の駐車場からさて帰ろうと・・でなにやら道路情報板によれば伊勢自動車道は名古屋方面に向かうと大変な事になるらしいので進路を鳥羽に向けれっつらごぉ〜

伊勢湾フェリー

積み込み中
鳥羽のフェリーターミナルに着いたら1時間待ちほどで伊良湖行きに乗れるとの事なので土産物を物色したり海を眺めたりしつつ18時40分の便に乗船。なんだかギリギリまで詰め込むために予定時刻を10分ほど過ぎて出航。
おいらは海の男なので当然客室なんかには行かず、甲板のベンチに座り潮風を浴びていたのだが
8月とは思えないほどの寒さ
しかも結構揺れるなぁと思っていたらフェリーの客室担当とおぼしきおねーちゃんが笑顔でご気分の悪い方はお早めにどうぞと
ゲロ袋配ってた。
つか伊勢湾くらいで船酔いしてたらマグロ漁船に乗れないぞと周りを見ると結構冷凍マグロ化している人がいた。 まぁ船酔いは平気だが寒いので風を避けて甲板中程に避難すると今度は水しぶきがおいらに襲いかかる。結局1時間ほどで伊良湖岬に着きとりあえず清水までR1バイパスでいっかと走っているととんでもない雨・・・。おかげで藤枝バイパスから岡部辺りまでの記憶が無いまま眠気と戦いつつ清水で東名に乗ってPAでちょっと休もう・・・・裾野15km渋滞だぁ?。仕方なく半泣き状態で箱根峠を越えて小田厚抜けて午前1時に無事我が家に到着・・・。

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熊野古道伊勢路へ進む佐屋街道に戻る
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