日時 | 宿場 | 天候 | 所要時間 | 歩数 | 距離 | 交通費 | |
2002年8月20日 | 桑名〜関 | 晴れ | 11時間35分 | 67070歩 | 49.259km | 約4000円 | |
![]() 桑名の七里の渡し場跡だが・・・ ![]() 揖斐川側は工事現場でした。 |
というわけ公共交通機関を利用すると時間が合わないし、金も馬鹿にならないので今回もパークアンドライド方式だ。で19日16時頃家を出て大府まではR1、そこから先は 100km/h以下で走ったり、赤信号で停まると追突される とか噂のあるR23を走ったけど、実際は60km〜80kmくらいで流れているしちゃんと赤信号で停まるし。これなら赤信号で停まると後続のトラックが右折レーンから抜いていく夜中のR246の方がよっぽど下品だわ。と思いつつ亀山入り。 しかし駅周辺には車を停めるような所がないのでウロウロすると亀山城裏手にトイレ、水道完備の駐車場発見。 早速ホテルジムニーをオープンして寝る・・・って車が揺れるようなとんでもない強風でなかなか寝付けない。 2時間ほどウトウトして6時に起きて亀山駅まで歩いて、関西本線で桑名に向かい7時20分桑名の七里の渡し場跡に着いた。 宮の渡し場公園に較べると、トイレ無し、水道無し、自販機皆無で狭い。 近所の桑名城跡の公園は設備が充実しているみたいだが、おいらより自由な生活を送る方々がベンチでゴロゴロしてたので邪魔しちゃいけないと眺めるだけでした。で加えて水門工事で川っぷちは水門工事中となっている。しかし昨日からすげー風。こうして歩くおいらも大変だが揖斐川を伊勢湾めがけて出漁の漁師さんの船も大変そうだ。 | ||||||
![]() 桑名宿の町並み ![]() 桑名歴史の道公園 その1 ![]() 桑名歴史の道公園 その2 ![]() 町屋川畔の常夜灯。 |
で港町の路地裏のような趣の旧東海道を進むと程なく東海道五十三次を縮小したような桑名歴史の道公園。 さっそく日本橋を模した橋を渡るとあっという間に沼津。ご丁寧に富士山まである。 で宿場を過ぎると旧東海道は裏道になっているのか前からも後ろからもえらく激しい交通量。 もともと2間(3.6m)の幅しかない道に電柱やら標識で余計に狭くなっていてしかも住宅街。 おいらの感覚じゃ一方通行じゃ無いのが不思議だ。 で町屋川の畔の雑草に埋もれかけた常夜灯そばの公園で休憩。見るからに歩いて川渡れそうにもないな。町屋川。 | ||||||
![]() 四日市の工場群 ![]() 日永の追分 |
R1の町屋橋を渡り再び裏道と化した危険な旧街道を進み四日市市に突入。海側に見える煙突やらパイプうねうねの工場群を過ぎ、常夜灯と一里塚跡くらいしか残っていない旧街道を強風と戦いつつようやく四日市宿・・・って標柱もなにも無いので宿境がどこだか判らないが諏訪神社前に11時10分頃辿り着いた。でその先はアーケード付きの商店街。で結局どこが宿場だったのか判らず左行くと伊勢、右行くと京の日永の追分に到着。
しばらくぼーっとしていると近所のおばちゃん(っておねーさんかも知れないが)がポリタンクやらペットボトルを抱えて水を汲んでいったので、やはり結構な名水のようである。 とは言え水ばっかりじゃ〜な〜。ずっと住宅地ばかり歩いているから朝から何も食ってないぞ。しばらく歩くと駅がある。近鉄内部線追分駅。きょろきょろと餌にありつけそうなところを探すがビデオ屋位しかないので踏切を渡ろうとしたとき気が付いた。なんじゃこの線路? まるで遊園地の汽車の幅位しかないぞ。 | ||||||
![]() 杖突坂 ![]() 杖突坂の上 ![]() 石薬師宿小沢本陣跡 |
で結局空腹のまま杖突坂・・まぁ舗装された現在じゃどうって事無い。 つーか箱根やら菊川、日坂をクリアした俺様だ。 こんな坂鼻歌交じりで楽に・・嘘です。結構な勾配でここでおばちゃんの乗ったスクーターがヒィヒィハァハァと杖突坂と戦う俺様を抜いていったのが15km/h位しか出てません。 少なくとも三重県内の東海道じゃ鈴鹿峠に次ぐ難所には違いない。登り詰めてしばらく行くと児童公園が有ったので休憩。 四日市の町並みと鈴鹿の山並みが一望できるなかなかのロケーションだが、児童公園を名乗りながら除草剤で雑草をやっつけるのはいかがなモノかと思いつつ、茶色く枯れ果てた雑草を踏みしめて再び歩き始めた。 やがて国道一号に合流。しばらくR1を行くことになるがおいらの歩く左側は潰れたドライブイン、右側はラーメン屋やらコンビニがある。 しかしいくら空腹でも片側2車線で中央分離帯付きで車がビュンビュン行き交う国道を渡る気力も無い。 やむなく俺様はそのまま歩き続け、いっぺん左にそれて街道の面影が残る家並みを抜け、今度は旧街道が右に逸れるので、国道1号を横断するとなにやら「トンテキ」の看板があるので行ってみるが準備中の札。 そーいや石薬師宿へ分かれるところはここかな?特に標識は無いが・・5分ほど地図を見ながらウロウロしているとどうも違う様なので再び国道一号に戻り亀山方向に歩くと有りましたね石薬師宿の看板。 そんなわけで14時20分石薬師宿に到着。って宿場入り口に案内の看板といくつか標柱があるだけの静かな住宅地である。 で歩いていくと前から幼稚園年長〜小学校1年とおぼしき女の子が歩いてきた。 歩いてきたのは良いがなんか変だ。壁に背中をくっつけてカニ歩き。 なんだぁ〜と見ていると今度は電柱の陰に隠れた。そんなに俺様が怪しげならあんたいったい何様のつもりなんだと思いつつ 「そんなに怖がらんでもええやん」と言うと脱兎のごとく俺様の来た道を走り去っていった。 まぁ俺様が怖いと言うより、滅多に知らないおっさんを見る事が無いのかそれとも極度の人見知りなんだろうかと考えつつ一号線に架かる橋を渡ると石薬師寺。寄ろうかと思ったが入り口が亀山寄り、本堂が四日市寄りと俺様の進む方向と逆のベクトルなのでそのまま壁越しに眺めるだけにしてパス。で坂を下り関西本線の踏切を渡ると重たげな稲穂を垂れる田んぼが広がっていた。はいいけど道ばたにコンビニ袋に詰められたゴミは頂けない。おいらなんか決してゴミを路上に投げ捨てたりしないのでこの旅をする前にジムニーの車内を掃除したらゴミ袋2つ分のゴミが出る始末。これもどうかと思うが道路やら人の土地にゴミを捨てるアフォよりかなりマシだと思う。 | ||||||
![]() 庄野宿 ![]() 庄野宿の町並み ![]() 庄野宿本陣跡 |
で15時10分庄野宿。ここも静かな住宅地。で和泉橋たもとの川俣神社で休憩。 桑名出てからここまでトイレ無かったんで冬場に東海道を旅する人は大変だなぁ。と思いつつ俺様もようやくドレインコックを開いて放水。ここまで耐えたのは俺様が育ちが良くてトイレ以外で放水出来ないのではなく、とんでもない強風でしかもコロコロ変わる風向きゆえ、放水じゃなくて風向き次第じゃ自分に散水しかねないので耐え抜いたのであった。で和泉橋を越えるがこの川、河口から20kmも離れているのに砂だらけ。この川のぼる鮎は相当上流まで餌のコケが無くて大変そうだな。 | ||||||
![]() 親切な案内板 ![]() 富永一郎さん作看板 ![]() 亀山宿 ![]() 野村一里塚 |
で狭い道から2車線の道に出るが・・手持ちの地図にはこの道路は書かれていない。 はてと思うと親切な手書きの看板発見。どうやらこの道を渡り田んぼの中を行くらしい。でさらに遮断機無しの踏切を越えるようである。いや〜助かりました。感謝感謝。で無事亀山市に入り、坂を上り詰めたところにある和田一里塚跡に併設された公園で一息。ふと見るとなにやらポイ捨て禁止の看板・・・ってこれまんがお笑い道場でおなじみの漫画家富永一郎先生の画じゃねーか。 しかし残念ながら土管で生活する鈴木先生は描かれてなかった。 再び歩き始めカメヤマローソクの工場を過ぎ旧屋号を掲げた商店街に入る。 えらく閑散としているなぁと思いつつ17時30分亀山宿。 もう夕暮れだしここでゴールにしようかと思ったが明日の坂下〜土山の交通機関皆無地帯を考えると関の東木戸あたりまで足を延ばした方が良かろうとビールを一気に飲み干し酒パワーで前進。 お陰でまた道を間違えてしまい、何とか旧街道に戻り宿場を過ぎると木が育ちすぎた野村一里塚。 ここまで登ってせっかく稼いだ高度がぁと嘆きつつ一気に下って一号線渡って鈴鹿川沿いの道を進む。 すると道路の真ん中に黒い子猫が2匹道路の真ん中で遊んでいる。 すると前から車がやって来て猫の直前で停まり降りてきたおねーちゃんが、餌の煮干しを上げていった。 沼津、桶狭間と黒猫にやたら好かれる俺様はこんな事もあろうかとザックにキャットフードなんか仕込んでたのでちょっと悔しい。 しかし三毛とかトラはおいらを見るなり逃げだし、犬は吠えまくるのだがそーいや黒猫だけはなぜかすり寄ってくるのだがなんか俺様に憑いているのだろうか? と考えつつすっかり暗くなって足元がよくわからない状況の鈴鹿川の土手を進み再び一号線を越えた。 で坂を上る途中、小万のもたれ松等というモノが有ったが暗くて説明書きが読めず18時55分に関宿の東木戸に到着した。 うーんランプ調の街灯が幻想的で良い雰囲気だ。というわけで明日はここからスタートすることにし撤収。 |
15日目 岡崎宿−知立宿−鳴海宿−宮の渡しに戻る | 17日目 関宿−坂下宿−土山宿−水口宿へ進む 伊勢街道1日目へ寄り道してみる |
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