日時 | 宿場 | 天候 | 所要時間 | 歩数 | 距離 | 交通費 |
2002年7月31日 | 岡崎〜宮 | 晴れ | 8時間半 | 47913歩 | 35.8km | ※約6100円 |
![]() 第一岡崎海軍航空基地のプレート ![]() 永安寺境内の夫婦松。って助さん角さんじゃ・・ ![]() 雲竜の松 |
というわけで2800円のカプセルホテルでビールかっくらって快適な一夜を過ごした俺様は一路昨日のゴール地点である矢作橋駅に向かう。 さてと万歩計をリセットし・・あれうごかんぞこいつ。一応家電製品総合エンジニアの有資格者で有る俺様はまずはバンバン叩いてみる。これは修理の基本である。これは家電製品総合エンジニアの有資格者で有る俺様が言うのだから間違いない。(のか〜?)で復活しないので分解して見るとこいつはバネで釣られたマグネットが歩いた際の振動で上下しリードスイッチを導通させるという仕組みだがマグネットが外れており、リードスイッチが導通しないためカウントしないことが判明。ささっと路上で修理を済ませた。さすが家電製品総合エンジニアの有資格者だなと我ながら感心しつつ7時にスタート開始。20分ほど歩いて松並木の残る旧街道。所々にしか歩道が無く、交通量も結構有るのでそこそこ危険。どうも三河地区では歩行者は人並みの扱いを受けないようだ。途中熊野神社入り口に忠魂碑と第一岡崎海軍航空基地のプレートが有った。今はすっかり畑となっているようでおいらのうちの近所みたいに終戦後米軍に接収されて未だに米軍基地としてジェット機が飛び交わなくて良かったね。と思いつつ歩くと2本仲良く並んだ夫婦松がある。どうでも良いけどそれぞれの松に助さん角さんと名前が付いているようだが ゲイの夫婦じゃないんだから助さん角さんはねーだろ。 と突っ込みつつどっちが夫でどっちが妻なのか悩みつつ先を急ぐと今度は永安寺境内にある恐ろしく水平方向に枝を広げた雲竜の松。余りの見事さにしばらく眺めていた。(歩き疲れたので休んでいただけとの噂あり) | |||||
![]() 知立の松並木端の知立宿の石碑 ![]() 知立の松並木。 ![]() 尾張三河の境に架かる境橋。 |
で9時過ぎに知立の松並木。近所に第一岡崎海軍航空基地が有ったのに戦時中の供出も免れ、松食い虫による虫害も免れた立派な松並木だ。それでも一部は伊勢湾台風で根っこから吹き飛ばされたらしい。 松並木を過ぎて国道1号を渡り商店街や住宅の中にぽつぽつと石碑が残るだけの知立宿到着。特に見所も休むところも無いのでそのまま通過して再び、しばらく国道一号を進んだ後、特に案内は無いが地図に寄ればこのあたりで左にそれる所を不安になりながら進み再度地図を確認するとそろそろ常夜灯があるみたいだが・・・良かった。有ったぜとすっかり壮大なオリエンテーリングを堪能して疲れたので、神社の境内で休憩。 御利益は安産とか子育て方面らしく、俺様には無縁なのだがとりあえず休ませて頂いた手前、賽銭は欠かさない俺様だった。(1円とか5円だけどね。) 再び国道一号に合流してR23分岐手前で歩行者自転車はこっちという案内につられて境川を渡るといよいよ交通弱者に冷たい三河に別れを告げ尾張である。再び国道一号に合流してちょっと行くと旧東海道との分岐点にラーメン屋発見。そーいや朝メシ食ってないしラーメンとビールで豪華ランチとしますか。しかしそのラーメン屋は11時をすでに5分回っていたが開店11時の看板むなしく準備中の札が掛かったままなのであった。 | |||||
![]() 桶狭間古戦場の看板 ![]() 桶狭間に住む猫。誰か餌くれてやって下さい。 ![]() 今川義元の墓 |
で阿野一里塚でしばし休憩。反対側の塚は草むしりの真っ最中。暑いのに大変だなぁと思いつつおいらも汗でびしょぬれのTシャツを着替え再出発。いくつかラーメン屋が有ったが、いずれも夕方からの営業だったり、俺様一身上の理由につき却下の店ばかりで、豊明駅前のマクドもちょっと惹かれたが酒が無いので素通りして再びR1に合流。名鉄のガードをくぐると桶狭間古戦場跡という看板を発見。看板の通り左手の坂を上ると兵力では圧倒的だった今川君を数じゃ勝てない織田君が打ち破ったとされる桶狭間古戦場跡である。水場が有ったので顔でも洗おうと思うと黒猫が涼んでいた。で逃げるかと思えば額をこすりつけてご挨拶。餌くれって事なのだろう。非常食のカロリーメイトなんかやってみるが食わない。仕方がないので腹ぺこを抱えた俺様が食う。でまだ子猫ちゃんのようなので近くの自販機で牛乳25%と表示のある紅茶なんか与えてみるが香料が気に入らないのか顔を背ける始末。連れて帰ろうにも筋肉少女帯の歌じゃないがリュックサックに子猫を詰めるのはお互い気の毒なので放っておくとこのおっさんは餌をくれないと悟ったのかさっさと元の場所でぐーぐーと寝ちまった。ほっとくと死にそうなので誰かご近所の方や通りかかる旅人さんは是非この猫ちゃんにご飯上げてやって下さい。で水道で汗でびしょぬれの衣類を洗って干しているとまるでレゲエのおっさんやなと思いつつ周囲を散策すると今川義元の墓がある。別にここに葬られた訳では無いが後世になって建てられたらしい。写真を撮ると義元君も本意では無いらしく思いっきりブレてしまった。 | |||||
![]() 有松の町並み ![]() 笠寺一里塚 ![]() 都々逸発祥の碑 |
でたっぷり休んだ後、昔の面影残る有松の町並みを過ぎ、午後一時に何もない鳴海宿に入る。その後あまりに何もないので道間違えたかと不安になる俺様の前に現れた天白橋。どうやら間違っちゃいないようだ。しかし暑いぞ。後頭部が痛み始めてきた。でこんな市街地に原型を留めているのか謎な笠寺の一里塚を過ぎ、坂を登ると笠寺観音を筆頭にお寺さんが立ち並んでいる。再び休憩モードに入りたいのだが、結構人出があるので遠慮して、名鉄越えてしばらく先の鬱蒼とした木々が涼しげな、お稲荷さんだか神社で休憩しようとすると、通りかかったおばちゃんに名古屋弁で、「目の前の道は東海道か?」 と訊ねられる。 「多分そうだと思うけどおいらも初めて通るし確固たる自信はないよ。」 と答えると次に 「喫茶店は無いかと聞かれるが笠寺の駅を過ぎてから住宅地なんで見かけなかったよ。」 と答えると 「さっき地元の人に聞いたら旧東海道を京都方面に行けばあると言われた。」 とのこと。そりゃ京都、東京どっち行っても必ず有るだろうけどなぁ。 「じゃぁこの道を左に行けば良いはずですよ。」(何km先か知らんけどきっとあるよ) でしばらく涼んだ後、おばちゃん等の後を追うように100mも進むとこじんまりとした喫茶店が有ったようなので、これで迷ったとしても俺様のせいでは無いと確信しつつ、30分も歩く前に山崎川渡った所に小さな公園を発見し再び休憩。で何気なく目をやると ないものはない と看板を抱えた金物屋がある。これは果たして この店には売ってないものは無いと言いたいのか 或いは無いものは無いんだと開き直っているのか うーん。ニホンゴとてもムズカシーデス。 再び歩き始めると静かな住宅地から高速道路の高架と立ち並ぶビルといきなり大都会の様相。 鬼のような歩道橋攻撃を食らいつつ宮宿に入り都々逸発祥の碑が熱中症寸前の俺様を迎えてくれた。 | |||||
![]() 宮の渡し公園 ![]() 宮の渡し公園2 ![]() 宮の渡し公園3 |
でようやく15時半に宮の渡し公園に到着って道路渡るのに横断歩道も無しかよ。でせっかくだから休んでいこうと船着き場のあずま屋で爺さんと一緒にくつろぐと爺さん曰く、今日は夏の厳しさは日本有数の名古屋でこの夏一番の暑さだそうな。だから熱中症で死にそうだわ尻の皮やらお稲荷さんが擦りむけてヒリヒリするのかと思いつつ川面を渡る涼しい風・・・天国天国。で自転車で外回りのおっちゃんが合流し、お互い口々にここは川面を渡る風が最高ですなと言いつつ、またまたおいら学生さんに見られたらしく俺もあんた位の頃にはあちこち旅したもんだ。と実はおいら34才なんですけどとは言えず適当に話を合わせてしまった。そーいやどっから歩いてきたん?と聞かれ岡崎からと答えるとしきりにえらいえらいと言われ最初は褒められているのかと思ったが、味噌カツと味噌煮込みうどんが大好きな俺様は名古屋弁でえらい=大変なという意味だということを思い出した。 まぁこの偶然このページ見られた若い方は体力と時間のあるうちに是非良い旅して下さい。おっさんになるとおいらのような境遇にならない限りこんな旅は出来ないし、時間の出来る定年後じゃ体力がどうかと・・。 などと思いつつ一路元来た道を戻り神宮前から8時間かけてジムニーでおうちに帰る俺様だった。 |
14日目 吉田宿−御油宿−赤坂宿−藤川宿−岡崎宿に戻る | 16日目 桑名の渡し−四日市−石薬師宿−庄野宿−亀山宿−関宿へ進む 佐屋街道で陸路を行く(東海道に戻れません) |
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