日時 | 宿場 | 天候 | 所要時間 | 歩数 | 距離 | 交通費 | |||||||||||
2005年7月16日 | 須原〜上松 | 晴れ | 2時間54分 | 16982歩 | 11.89km | 1270円 | |||||||||||
![]() 奈良井大橋 ![]() 線路なのだが ![]() 奈良井駅その1 ![]() 奈良井駅その2 |
まえがき 海の日とかいう休日のおかげで3連休なわけだが海とは関係無い方面に旅立とうと思いついてしまったものの泊まるところを決めていなかった。 まぁ最悪車中泊でも良いかとそそくさと荷物を車に積み込み突発的に中山道の旅に出た。 とりあえず、プランとしては次のとおりである。 まずは総檜製の奈良井大橋のある道の駅奈良井に車を置いて、須原まで電車で行って上松まで歩き、すでに歩いてしまった上松から木曽福島は電車でワープし木曽福島から原野駅まで歩いてしまうという計画だ。 翌日は奈良井から一気に上諏訪を目指すという、行き当たりばったりの旅の割りにはかなりのスケールだったりする。 さすがに無計画に出発しただけに、道の駅奈良井から奈良井駅へ向かおうとしたところ反対方向に中央本線に沿って進んでしまい、さすがにおかしいと振り返ってみると遠くの方に駅舎が見えたのでUターン。 そういや戻る途中に踏みきりで無いところに道がある。看板には渡るなと書いてあるが線路際には底だけ雑草もなくまたバラストも踏みしめられており、下のような看板は建っているものの立派に通路として通用しているようである。
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![]() 須原駅 ![]() 駅前の中山道 ![]() 国道19号に合流 ![]() 国道19号から逸れる ![]() なんか出そうな道 ![]() 特急しなの ![]() 再び国道19号に合流 ![]() 石垣いちご? ![]() おっきな木 ![]() またまた国道19号に合流 ![]() 金鳥の看板 ![]() 釣り橋 ![]() 木曽川 |
というわけで駅を降りるとジュースやタバコの自販機などがあり、やはり宿場町だけに十二兼駅などに較べると格式が違うようである。 とは言え、昼時だというのに飯屋はなく、今回もメシ抜きを大いに予感させられるスタートとなった。 駅は宿場の外れに位置しており、道なりに坂を下るとすぐに国道19号となっている。この国道と中山道の交わる場所に何やら木の看板が建っているので近づいてみると、須原宿に関する木の案内板が建っていた。
どうやらこの辺りでは、友釣りに使うおとり鮎を「親鮎」と呼ぶようである。 国道19号に出たのもつかの間で前方に歩道案内と標識があり、歩道のない区間を右手の集落を経て迂回するようである。 気が付くと舗装こそなされているものの軽トラどころかミゼットですら通れるのか怪しく、なんか出てきそうな両側が夏草でボーボーの道となった。 前に鳥居峠を歩いたときに”熊”とおぼしき動物と遭遇しているだけに草葉のこすれる”カサッ”という微かな音にも心拍数が上がる思いがする。 そんな中、頭上の崖の中腹を特急しなのが通り過ぎていった。 「まぁ電車が走るところに熊なんか出没しないか。」と思うことにした。 それよりもよくもまぁこんな所に線路を敷設するよなぁと余計なところに感心していると再び国道19号に出た。 国道沿いさえ歩いていれば、熊のようなデンジャラスな動物さんとの遭遇は無いだろうというわけで安心できる一方、ただ歩くだけとなってしまう。 そこで歩道脇の石垣に生える”バライチゴ”(おいらがガキンチョの頃に呼んでいた名前で標準和名かどうか怪しい。)をカメラにおさめ”石垣いちご”とタイトルを付ける位、目新しい物は無い。 ちなみにイチゴとは名が付いているものの似て非なる甘酸っぱい木の実だが、子供の頃にこれを食った俺様が未だに生きながらえている事を考えると毒はないらしい。もっとも国道脇の排ガスまみれの木の実は昼飯前だろうがいくら懐かしいといえども食指がのびることはなかった。 さてひっきりなしに通り過ぎるトラックの巻き起こす涼風を受けつつ歩いていくと大きな木が目に入った。 国道は切り通しになっているが元々は小さな丘だったようでそのほぼ頂点に大きな木はある。 で歩道から逸れて法面の上を歩いていくと大きな木に辿り着いたが間近で見ても何の説明も無いのでこの木は単に”大きな木”ということにした。 結局無駄に体力を浪費しただけで再び国道19号に戻ると俺様の歩く塩尻方面向かって右側は歩道が途絶えており危険を冒して反対側へ渡らないと行けないようだ。 いくら横断歩道が有るとはいえ、制限速度50km/hでのんびり走る”木曽かめ号”というペースメーカーが導入されるほど暴走天国な別名”木曽高速”とも呼ばれる国道19号を横断するのは命がけである。 渡って程なく、古びた廃屋の壁には”金鳥”のホーロー看板が掲げられている。以前は人の目に付くから看板設置ポイントとなったのだろうが、今では俺様のように歩いて旅する酔狂な人間にしかその存在に気付く物はないだろう。 やがて視界が開け木曽川の対岸にコンクリート製の構造物が見える。またこちら側からそっちに行くために釣り橋が架けられているが手持ちの地図にも何であるか記されて居ないのでわかんないけど水利関係か発電用の施設と思われる。 さて国道19号に戻り、歩道から足下の木曽川をのぞき込むと川底まで透き通って見える。泳ぐまでもなくせめて手くらいひんやりとした水の感触を味わいたいところだ しかし、延々と断崖絶壁なので河原に降りることすらままならない。 | ||||||||||||||||
![]() 上松町 ![]() こっちか? ![]() 後戻り ![]() 普通の道 ![]() 倉本一里塚跡 ![]() 吊り橋 ![]() 天然のクーラー ![]() 倉本の集落 ![]() 郵便局? ![]() 郵便局だった ![]() ガードレールに沿って右手へ ![]() 道?草むら? |
12:39 前方に上松町と書かれた標識があり、須原駅を発ってからおよそ45分で上松町まで来たわけである。 でそのまま国道19号を歩いていると、なぜか眼下に旧街道っぽい道があるので地図を確認するとどうやら先に通り過ぎた廃ドライブインの脇を下っていくらしい。 間違いに気付いてしまったので先ほどの大桑と上松の境に建つ廃ドライブインまで後戻りすることにした。 どうやらこのドライブイン脇の庭の踏みしめられた部分を通るようだ。こうやって人様の生活圏を侵しつつ歩くなんて事は確か東海道では無かった様に思えるが、木曽路に入ってから人様の庭先をお邪魔するようなことがちょこちょこある。 というわけであっという間に普通の道に出た。普通の道と言ってもセンターラインに歩道が有るような立派な道では無く、対向車が来ない限り車一台難なく通れる舗装路である。 再び国道19号に戻ると道路の反対側に一里塚跡と彫られた石碑がある。一里塚は妻籠を過ぎて以来久々で、なにやら案内板も有るので内容を確認したいところだがひっきりなしにトラックが行き交う国道を横断するのも危険なのでデジカメの望遠性能と解像度に期待して案内板を捉えたが残念ながら画像を確認すると倉本一里塚書いてあるのがようやく判別できる程度だった。 倉本一里塚跡より10分あまりでおんたけ交通の「倉本バス停」に辿り着いた。その時丁度前方から、貨物列車がやってきた。2時間に1本程度の列車に較べてみると人より荷物のほうが往来が有るようである。 しかしまた暑い。こういう時に有りがたいのが沢から吹き下ろす涼風である。ずーっとこのまま橋の欄干にもたれかかって涼んでいたいがそうもいかんので先を急ぐことにする。 国道19号は木曽川沿いを進むのだが中山道はを木曽川から離れて山側を進むらしい。 車両通行禁止の標識の建っている釣り橋を渡ると倉本の集落に入ると程なく民家の庭の一角に気になる物があった。 一見ただの庭先に増築された建物なのだが良く見ると「切手・印紙・為替・保険」と書かれた看板が軒先にぶら下がっており、切手や印紙位なら雑貨屋でも取り扱って居るが保険とか為替は郵便局のネットワークに入ってないと扱えないので、じゃあこの建物は・・・もしやとさらに良く見るとドアには「郵便局」のステッカーが貼り付けられていた。 昨今とやかく言われている特定郵便局という制度が仮に無い物として、ここにお上の力で郵便局を建てたら、きっと不釣り合いな鉄筋コンクリートで出来た無駄に立派な郵便局ができ上がるんだろうなぁ。 ちっちゃなちっちゃな郵便局を過ぎ、センターラインのある道に出てきたと思ったら、右手に上って行く道のガードレールに赤いテープが貼ってありどうやらこちらに進めば良いらしい。 こいつのおかげで余程不安にならない限り、荷物の中から地図を引っ張り出して確認することもない。 で油断すると道なのか草むらなのか悩むところに出てきた。 | ||||||||||||||||
![]() 再び分岐 ![]() またまた19号 ![]() 荻原一里塚跡 ![]() クルミ ![]() 見落としてしまいそうな分岐点 ![]() 滑川に架かる橋 ![]() 國道十九號 ![]() 滑川から木曽川方面を望む ![]() 駒ヶ岳方面 ![]() 大宮神社の桂の大木 ![]() 桂の大木その2 ![]() 御輿 ![]() 国道19号 ![]() 上松材木役所跡 ![]() 材木役所跡前の通り ![]() 島崎藤村文学碑 ![]() 上松小学校 ![]() 斎藤茂吉の歌碑 ![]() 上松宿 |
草むらを抜け再び国道19号に戻ってきた。と思ったら歩道が途絶え右手に分かれる道が歩道の役割を成しているようだ。で3分程でに国道19号に戻ると荻原一里塚跡と記された看板が建っている。
先ほどより、道ばたの至る所にクルミの青い実がなっている。秋から冬にかけて道ばたにはクルミの実がゴロゴロ転がってたりするんだろうなあと思いつつ、”小野の滝”に到着。 滝をしみじみ鑑賞するよりもまず水しぶきの降りかかる滝の真下まで辿り着いて、適当な岩に腰掛けて俺様をまず冷却した。 この陽気じゃ少々濡れてもすぐ乾きそうである。実は国道19号で幾度となく小野の滝の前を通っているが、ちゃんと駐車スペースが有るにもヵかわらずこれまで立ち寄ったことはなかったが、おそらくクーラーの効いた車から降りて、この滝を眺めても何の感慨も得なかったであろう。
歩き始めて程なく、電柱に貼り付けられた赤いテープを見つけた。そいつの指す方向を見やると国道を右に逸れて森へ消えてゆく人一人通るのがやっとな草の生えた緩やかな登り坂となっている。 先ほどのクールダウンが無ければ見落としかねないような分かれ道だ。 森を抜けると車一台ぎりぎりすれ違えそうな舗装路に出た。 しばらく歩いていくと橋があった。何気なく欄干の銘板を見ると”國道十九號”と記されており以前はここが国道19号で有ったようだ。 川面までの高さに較べてやたらと低い欄干にビビりつつ橋の中程に立って木曽川方面を見ると、遠くに中央本線の鉄橋にそして現在の国道19号が見える。 現在、国道19号と中央本線はほぼ木曽川に沿っているが、旧国道となる中山道は滑川と木曽川の合流点を避けるように木曽駒ヶ岳側に迂回している。 橋を渡り終えると橋のたもとにバス停が有るなぁなどと思っていると、橋の向こうからバスがやってきた。旧国道19号とは言え、現在の3ケタ国道並のスペックしかないこの道を走る路線バスが存在することにまたまた驚いてしまった。 ちなみに橋のたもとのバス停には木曽駒ヶ岳登山道の標識があり、登山道までは3.9kmと記されているが木曽駒ヶ岳登山道の取っつきまでは3.9kmだが登山道はどれくらいの行程なのだろうか・・・。まあ下調べもせず思いつきで3000mに近い山を目指す人は居ないだろうし、普通は伊那からバスとロープウェイでいける気楽なコースを選択するだろう。 滑川より歩くこと7分余り。なにやら縁日だがお祭りだかで食品スーパーの脇に露店がでている。 残念ながら俺様が欲するような生ビールや焼きそばの出店ではないので通り過ぎるとその隣には大宮神社と染め抜かれた幟やら提灯がはためくお社の前には大きな木がそびえていた。 ご丁寧に看板にこの木の由縁について記されていた。
で桂の木の説明でも触れられていたが、ここから木曽川方面へ下っていくと浦島太郎が玉手箱を開いたことで有名・・・とは言い難い寝覚ノ床である。国道19号沿いの何遍かドライブインから眺めたことは有るが、長い長い階段を下ってまで見たことは無く、かといって今見に行く気もさらさら無いのでそのまま歩いていると国道19号の真上に出た。 そー言えば小野の滝からクソ暑い中ここまで休まず歩いているが腰掛ける所は無いものの。トンネルの出口の上という立地から風通しはなかなか良いのでここでしばし休憩していると、前方から御幣というのかとにかく白い紙で覆われた御輿の様なものが揃いの浴衣を着込んだ若い衆やら若かった衆と共にやってきた。 きっと由緒ある祭礼なんだろうが物を知らないと本当にこういった失礼極まりない説明しか出来ないから情けない。 というわけで国道19号の電光掲示板には「気温27度」と表示されており、まだ真夏の暑さにはほど遠いが、すたこら歩いているととっても暑い。 そんなわけで風通しのよい国道19号のトンネルの出口に掛かる橋の上でくつろいでいたが、御輿も通り過ぎ、いつまでもこうして居るわけにも行かないので再び上松駅を目指して歩き出した。 10分ほどで上松小学校に差し掛かると、なにやら看板が掲げられているので読んでみると材木役所というのがあったらしい。
と校門前を通り過ぎようとするとこんどは「斎藤茂吉」の歌碑があった。 「駒ヶ嶽見てそめけるも 背後にし小さき汽車は 峡に入りゆく 茂吉」 というわけで、上松宿に入ったらしいがガイドブックに相次ぐ火事により宿場の面影は無いと書かれてもしょうがない街並みである。 とは言え道も拡幅され歩道も整備されてここで暮らす人たちにはなんら不都合は無いだろう。ただ他の宿場町同様に商店街の装いも感じられるが重くシャッターを閉ざした店が多い。 やがて上松駅150mという看板が見え、その看板に従い、14時49分本日1発目のゴールとした。 ![]() 駅前貯木場
| 番外とりあえず次は木曽福島まで電車で行き、関所跡などで寄り道しそこから原野まで歩く予定である。で電車の時刻まで30分程あるのに駅前の分際で飯を食うところが無いのでやむなく酒屋でビールとつまみを仕入れ、駅前のベンチで燃料注入と相成った。注入が終わるとここにいるのも飽きたのでホームに向かった。駅の反対側は貯木場となっている。かつては森林鉄道により運ばれた木曽檜に代表されるような材木の積み出しでにぎやかだったのだろうが、今では貯木場への引き込み線もないようなので、ここに集まった材木もトラック輸送が主らしい。やがてやってきた電車に乗り込み木曽福島に向かうのだった。 |
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