日時 | 宿場 | 天候 | 所要時間 | 歩数 | 距離 | 交通費 | |||||||||||||||||||||
2005年6月25日 | 三留野〜須原 | 晴れ | 3時間32分 | 22287歩 | 15.6km | でんしゃ320円がそりん2000円 | |||||||||||||||||||||
![]() 桃介橋その1 ![]() 桃介橋その2 ![]() 桃介橋その3 ![]() 桃介橋その4 ![]() 木曽川 |
まえがき というわけで今回は中山道と記された標識に釣られて与川道という迂回コースの雪辱戦となる。 とりあえず、南木曽へ向かい木曽川対岸の天白公園に車を止め、桃介橋を渡り三留野まで歩くことにした。 た。 この桃介橋はおいらが免許を取った十数年前は、今にも崩れそうな姿をさらしていたが、いつの間にか復元されて人が渡れるようにまでになっていた。
| ||||||||||||||||||||||||||
![]() 12:13スタート ![]() 中央本線 ![]() 木曽川 ![]() 国道19号 ![]() 国道19号に合流 ![]() しばらくこんな歩道 ![]() 10分歩いても変わらぬ景色 ![]() なんかの祠? ![]() 柿其橋でR19とお別れ ![]() ワイルドな道 |
というわけで毎度長い長い前置きの末、前回の間違えて、本線から逸れて与川道に進んでしまった地点より12時13分にスタート。 中山道(与川道)と記された標識通りに右手の坂へ進まず左側に進まないといけないのである。 この与川道は野尻で再び中山道と合流するが野尻側は確か標識が無いので日本橋から歩いてきた人は間違える恐れはないが、京都から歩いてきた人は要注意である。 そんなわけで今度は間違えずに歩き始めたが、桃介橋のたもとからかれこれ20分は歩いているので、スタートから早々に汗でぐだぐだである。 で坂を下りつつ中央本線の線路としばらく併走し、線路をくぐって国道19号に出た。 出たのは良いが、歩道は木曽川沿いにしかなく横断歩道もない別名木曽高速とも呼ばれる国道19号を命がけで横断しなければならない。 で当分の間、国道19号を歩くこととなるが、木曽川を渡る涼しい風と、時折通り抜けるトラックの巻き起こす風により割合快適である。 但し、南木曽町がこのルートの迂回路として与川道を整備した位なので、やはり見所は少ない様である。 国道19号に降りてきてからかれこれ10分ほど歩くがまるで景色は変わらず、さらに歩くこと10分ほどで右手に大きな木に囲まれた木立が見えたが危険を冒して木曽高速と呼ばれるだけに横断歩道もない反対側に渡る勇気は無かったので、なんかの史跡かも知れないが結局の所判らずに通り過ぎた。ようやく国道19号を歩くこと30分余りの柿其橋のたもとにて国道とおさらばすることが出来た。 国道から逸れて程なく明治天皇御膳水という石碑が民家の庭先に建っていた
「暑いので河原に出られないだろうか」という思いと「あまりにも道が立派すぎる」という思い違いから左側の舗装されていない道を進むと畑に出て行き止まりになってしまい、河原にも降りることが出来ない様である。 河原にも降りられず、前にも進めず、土手を上って元のルートに復帰することもままならないとなると戻る以外の選択肢は無いのでやむなく2車線幅の真新しい道との分岐点に戻ることにした。 | ||||||||||||||||||||||||||
![]() しょぼい道 ![]() 十二兼駅 ![]() これをくぐるのかな? ![]() 本当にこれ? ![]() ”これ”の内部 ![]() R19を渡る ![]() 子供注意 ![]() 左に逸れる道 ![]() 第十四仲仙道踏切 ![]() 読書ダム ![]() 中央本線沿いに進む ![]() 第十三仲仙道踏切 ![]() 特急しなの ![]() 野尻駅まで1.5km |
立派な二車線幅の道だったのは一瞬で再び車のすれ違いにも難渋しそうなしょぼい道となり、中央本線に沿って進む。 前方にはこじんまりとした十二兼駅が見えるが、あまり近くに人は住んでなさそうな雰囲気である。 13:12十二兼駅到着。駅前には柿其渓谷の案内図が描かれた看板があるのみである。 線路沿いをしばらく歩くと、ガードレールに中山道を示す赤いテープが貼り付けてあり、そいつの示す方角を見ると中央本線の下をくぐる沢の脇に足場を組んで無理矢理通路に仕立て上げられている。 思ったほど涼しくないし、余り居心地も良くないので早々にこのトンネルをくぐり抜けた。 階段を上がり国道19号に出て右手に逸れる道を進む。 左右に家々を配した集落となっている前方に「子供注意」という看板があった。どうやら子供と侮っているとえらい目に遭うほどデンジャラスな子供が生息しているらしい。 いつ子供が現れて襲われないかとビクビクしていると看板の先に子供がいたが、当然の事ながら別に子供に襲われることなく旅を続ける事ができた。 別段、「子供に注意」という看板は珍しい物ではないが、しばらく子供に注意より「熊に注意」といった看板のほうが多かったからなぁ。 集落を抜けると一旦国道19号を渡り、今度は左手に逸れる道がそれっぽいのでそちらへ進んでみる。 で簡単に「渡り」と書いたが、信号とか有るわけでは無いので車の間隙をついて一気に渡らねばならず、走っている車の速度も「木曽高速」の異名を取るだけにやたら速いので、横断にしくじることは死を意味する。 で、その危険な”木曽高速”の塩尻寄りに標高を記した看板がぶら下がっているが、以前は南木曽町と大桑村の境だった さすがに国道と鉄道により雰囲気やら史跡が失われた中山道を南木曽町が中山道が通れないときの迂回路として利用されていた与川道を「歴史の道 中山道」として整備するだけに、ここまで明治天皇の御小休処位しか史跡が残っていなかった。 で国道19号を命がけで横断すると左手に逸れる道が中山道っぽいので進んでみると10分ほどで「第十四仲仙道」という踏切があった。 まぁ「中山道」を「中仙道」と記す場合も有るが「中」の字に”にんべん”付けて「仲仙道」と記しているのは初めて見た。 踏切を渡ると草藪の向こうに「読書ダム」が見える。 左は読書ダムでせき止められた木曽川、右側は中央本線に挟まれた車一台通るのがやっとの中山道を進むと5分ほどで踏み切りがあり、今度は「第十三仲仙道」踏切となっていた。 さっきが14で今度は13ってことは、塩尻方面からカウントして13個目となるわけで、ここから塩尻まで13回も踏切を渡るのかと思っていると、突然警報機が鳴り出して遮断機が降りてきた。 ヒマな人は十二兼あたりの時刻表を見て貰えばわかると思うが、一時間に一本どころの運行間隔ではなく、歩いていて目の前で踏切の遮断機が降りるなんてことは滅多にないので、おとなしく?電車が通り過ぎるのを待ってやることにすると特急しなのが通り過ぎて行った。 踏切を渡り、線路沿いを歩いていると、野尻駅まで1.5kmという標識があった。12時過ぎに出発し、まだ14時前なので三留野から野尻まで2時間ちょいの所要時間と言うわけである。 一方、この区間のバイパスである与川道ときたら距離にして一里ちょい大回りであることに加えて、激しいアップダウンにより、3時間半も掛かるのである。(ガイドブックには5時間以上掛かると記載されているが・・・) それでも大水や土砂崩れで中山道が通れない時に長逗留するぐらいなら、これぐらいの回り道は・・・って三留野から野尻までの約10kmすべての区間が通れなくなるような事態って有ったのだろうか?。 | ||||||||||||||||||||||||||
![]() 野尻宿手前の集落 ![]() 野尻宿 ![]() 第十二仲仙道踏切 ![]() 発電所 ![]() 第十一仲仙道踏切 ![]() 国道19号(中津川方面) ![]() 国道19号(塩尻方面) ![]() 大桑駅その1 ![]() 大桑駅その2 ![]() 第10仲仙道踏切 ![]() しばし国道とお別れ ![]() 少々不安な中山道 |
というわけで街道沿いに民家も並びはじめ、ぼちぼち野尻宿のようである。 特に何か残っている訳でもなく、ただ道幅と曲がりくねり具合が旧街道っぽいような黄がするだけでそのまま立ち寄るところも無いまま通り過ぎた。 もっともさっき通った木曽川に沿って延々続く国道19号の部分は当時は崖っぷちの難所だったはずなので、当時は宿場として繁盛していたものと思われる。 特に見るべきものの無かった野尻宿を過ぎ、第十二仲仙道踏切を越えると再び中山道は木曽川に沿って進む。 木曽川の対岸には水力発電所とおぼしき導水管と煉瓦造りの建物が見える。 再び中央本線の線路を第十一仲仙道踏切で越え、緩やかな坂を上り、国道19号に出る。 10分ほど歩くと大桑の駅が見えてきた。道の反対側には車で南木曽まで行く途中で腹ごしらえした「道の駅大桑」があるが、特に用も無いので素通りし、横断歩道が有るだけまだマシなR19を横断し、第10仲仙道踏切にて再び中央本線の線路をまたぎ、国道をぐるっと山側に迂回した中山道を進む。 しばらく進むと少々不安な道となるが標識のポールに赤いテープで進路を示しているのでこれで間違い無いようである。 地図でも確認すると左手の山裾をぐるっと迂回しており、どうやら地図で見る限り中央本線はトンネルをぶち抜いていることから山の斜面が木曽川まで迫っているため、道が造れなかったと思われる。 余りに道の痛み具合や狭さにより不安になるも、地久山天長院(臨済宗妙心寺派)と案内板があり立派なお寺さんが見える。
野尻の宿場からそれほど離れていないので、宿間距離が長いことを補う補完的役割ではなく、大雨などで大桑から三留野の木曽川沿いデンジャラスゾーンが通れないときに他の宿場の補助的な役目を果たしていたのだろうか。 で緩やかな坂を登っていくと保育園があり、地図によればここを左に折れて下っていけば良いらしい。 しばらく下っていくと、ビールの自販機なんぞ有ったので、これ幸いと燃料補給をしようと小銭を入れるとそのまま返却口にコトリと落ちたのでよくよく見ると「220円」と記されており、消費税が3%の時代から稼働していないようである。 がっくりしながら三面コンクリート護岸の沢沿いに下っていくと、衝撃の看板が立っていた。
川と呼んでいる対象が、コンクリートで固められたこの「溝」である。 そこへ来て 4.小さい魚15㎝以下がつれたらにがしてあげましょう である。 ザリガニとかメダカくらいなら泳いでいても良さそうだが、5cm以上の魚は背びれが水から出てしまいそうな水深しかない。 これは相手が子供だから馬鹿にしているとしか思えない看板だが、川に落ちても死ぬことはまず無いような所を選んでいるのだろうか?。 | ||||||||||||||||||||||||||
![]() 由緒ありげな寺 ![]() 木曽川や中央本線と再会 ![]() 発電所 ![]() またもや山道 ![]() 第9仲仙道踏切 ![]() 左手前方へ進む ![]() 国道19号(塩尻方面) ![]() 狭い中山道 ![]() 須原宿(水船) ![]() 須原宿(子規の句碑) ![]() 脇本陣跡 ![]() 須原宿の街並み ![]() 須原駅 |
そんなわけで子供用の釣り区域として指定されている川と称している魚が居そうに無いコンクリート護岸の溝に沿って下っていくと、川の向こうの斜面には京都の清水寺の舞台に造りのよく似た由緒ありそうな寺が建っている。 由緒も有りそうだが、特に説明の記された看板も無く、中山道を外れてあそこまで上っていくのもだるいのでそのまま素通りした。 伊奈川を超えて5分ほど歩くと再び木曽川と中央本線と再会となる。といっても第10仲仙道踏切から30分少々だから”再会はちと大げさか。” で木曽川の対岸には変電所か発電所と思われる高圧線の鉄塔が檻のように並ぶ施設があるが、敷地内に建っている建物の窓の感じが大正時代っぽいレトロな造りである。 一方、こちらは眼下に手前から中央本線、国道19号、木曽川の順に見下ろせる高台の普通自動車がぎりぎりすれ違うことの出来る道である。 何気なく今回のコースは地味にアップダウンが多いが、与川道ほどではなく、程なく緩やかな坂を下りきると第9仲仙道踏切に出た。 このまま3.5m幅の道を真っ直ぐ進めば良いかと思っていると、カーブミラーに赤いビニールテープが貼られており、そいつの示す先は斜め左前方に続く今より狭い道だった。 まぁ道に沿って電柱も並んでいるし多分抜けられるだろうと5分ほど歩くと”「須原宿 100m」、「須原駅700m」と記された標識があり、そいつに従い進むと、T字路となっており左折して先ほど分かれた道に合流し須原宿に入ったらしい。 すると真新しい木の看板に「清水医院跡」と記されており、島崎藤村の小説の舞台となった医院との事だが、「夜明け前」ですら読んでいない俺様にはなんの感慨もなかった。やはり街道歩きには歴史の勉強と芸能や小説に通じてないと楽しみが減るらしい。
子規は馬籠にも「桑の実の」とかいう句碑があったので元気な頃に木曽路にやってきたらしい。 やはり街道歩きに文学は必須らしい。
というわけで家々の軒先には丸太をくりぬいて水を通した”水船”があり夏はビールやスイカを冷やすのに具合がよさそうだなぁと思いつつ。脇本陣跡と記された案内板があった。
で須原駅は当然ながら無人駅であるため、運賃は乗車時に整理券を取って下車時に整理券の番号に応じた料金を運賃箱に入れる田舎のバスと同じシステムだったりする。今回は下車駅が有人駅の南木曽なので改札で精算し、車を停めた桃介橋のたもとへ向かった。 そこから車で南木曽からR19を南下し、中津川からR363を経て岩村を抜けR257で浜松方面に向かうかと思いきゃR418で平谷村を抜け・・・ まぁとにかく中津川から中央道で相模湖まで行けば最速なところをあえて山道を堪能して帰ったのであった。 |
中山道 中津川−三留野(南木曽)に戻る | 須原−上松へ進む |
旅の一覧に戻る | トップページに戻る |