十日目 東名高速バス静岡駅から六合駅まで

日時宿場天候所要時間歩数距離交通費
2002年7月8日府中〜藤枝曇り6時間30分約43833歩33.1km4880円

あの山越えるのかな。鬱だ

由井正雪公之墓址

安倍川餅
というわけで静岡から藤枝宿目指してGo。しかしまた駿府城周辺は右曲がったり左曲がったりと攻め込む敵をすんなり宿内に入れないための家康さんの策に見事ハマった俺様。なんとか宿外れで東海道に辿り着いて、由井正雪公之墓址と書いてあるでっかい石碑があるが、なんでまた徳川のお膝元に幕府転覆の首謀者の墓址があるんだろう等と思いつつ、安倍川の橋のたもとに安倍川餅を商うお店がいくつかあったので立ち寄って土産として買うとなぜか
”うまい棒”
を2本もおまけにくれた。でも酒飲みのおいらとしてはキャラメル味はなぁ・・・。

安倍川橋

丸子宿

俺様の腹を満たしてくれた一松園
でスタートから1時間余りで安倍川を渡り商店街を抜けると静かな住宅街に入り丸子宿、皆家の前に昔の屋号を掲げて往事のにぎわいぶりを感じさせてくれます。で丸子と言えばとろろ汁、雨に降られた挙げ句、店に入ったら夫婦げんかの真っ最中でとろろ汁を食えなかった弥次喜多ご一行と違い、無事に茶碗5〜6杯分のとろろ汁をやっつけお腹パンパンになりながら宇都ノ谷峠を目指す。ここまで約2時間半。でとろろ汁で精をつけた俺様の目に飛び込んできたのは一人旅には無縁の宿泊施設だ。丸子名物とろろ汁の幟まで立っているけど・・

宇津ノ谷の集落

旧東海道の入り口これ登るのか?

宇津ノ谷集落を望む

宇都ノ谷峠
道の駅宇津ノ谷で汗まみれの顔を洗い、しばし休息した後、トンネル手前で右に行くとカラータイルを敷き詰めた宇津ノ谷の集落。こうやって全ての区間・・いや曲がり角周辺だけでもいいや。こうやって東海道を示すタイルが有ると俺様のように迷わずに・・ってそんなくだらんことに税金使っちゃいかんか。
集落を抜け高台にでると、昔の宇津ノ谷の写真と共に解説が書かれていた。
 宇津ノ谷は丸子,岡郎両宿の間に位置する間宿です。
行交う旅人が,宇津ノ谷名物「十団i子」を求めたり,
無事に峠を越えてほっと息をついたところです。ここ
からの眺めは昔も今も変わらず、山間の集落の景観は、
当時を彷彿とさせてくれます。   静岡市教育委員会

案内板があり昔のままの東海道を復元したえらく急坂・・案内板を見た以上、これを登らないといかんよなぁ。道に迷った振りして明治のトンネルでも行ってやろうかと思ったのに・・
いきなりとろろ汁で得た精力を吸い取るかのような急な登りに途中で耐えられなくなり見晴らしの良いところで休憩。誰もいないのを良いことにシャツを脱いで涼み、スタートから3時間半で宇津ノ谷峠を越え・・登りもキツイが下りはさらに傾斜きついわ滑るわで注意しながらやっとこさ・・国道一号の宇津ノ谷トンネル出口に到着。チョンボしてトンネルそのまま歩けば15分掛からないのになぁと思いつつしばらくR1に沿って下り旧一号線に逸れて岡部宿に向かう。

大旅籠柏屋

柏屋の中

前回封鎖されてた岡部宿入口

小野小町姿見の橋

非常板?

岡部宿を振り返る

岡部宿リターンマッチ 2004-08-14

2002年に歩いたときは岡部宿の入口から封鎖されていたので、やむなく素通りしたが、今回中山道の旅で守山から関ヶ原までの旅の際に車での移動の途中、立ち寄ってみた。
宇津ノ谷トンネルから逸れて旧国道を抜けて岡部町に入り、駐車場に車を停めた。駐車場の一角に東海道中膝栗毛の岡部宿での弥次喜多のやりとりが記された看板がある。
弥次「岡部宿へ、へえったぜ喜多八」
喜多「字津ノ谷峠は、たいした
  道のりじゃあねえが険しい

   坂が続きゃあがった。おかげて丸子で
   食ったとろろ汁がこなれちまったよ」
弥次「さみしい峠に引きかえ岡部宿は
   にぎやかじゃあねえか。
   留め女の呼び声もてえへんだ」
喜多「弥次さん、あそこに柏屋」と
   書いた大旅籠があるぜ」
弥次「おう、喜多八、今夜はあそこにするか」
喜多「ええっ、大丈夫かい弥次さん」
大旅籠柏屋
と言うわけで大旅籠柏屋(かしばや)へ向かった。
入館料300円を支払い、結構な資料や展示物で一つ一つ見ていると、この後の予定に差し障りそうなのでささっと見物を済ませ、お土産に檜のまな板と買って、岡部宿内を散策した。
前回工事のため封鎖されていた国道から逸れた旧街道を進む。
ほどなく小野小町姿見の橋という看板があった。
小野小町の姿見の橋
 小野小町は絶世の美人であり、
歌人としても有名であった。晩
年に東国ヘ下る途中この岡部宿
に泊ったという。
 小町はこの橋の上に立ちどま
って、夕日に映える西山の景色
の美しさに見とれていたが、ふ
と目を橋の下の水面に移すと、
そこには長旅で疲れ果てた自分
の姿か映っていた。そして、過
ぎし昔の面影を失ってしまった
老いの身を嘆き悲しんだと言う。
 こんな事があって、宿場の人
たちはこの橋を「小野小町の姿
見の橋」と名づけたという。

そして俺様は、小野小町姿見の橋から川を覗き込んで、ゴミが散乱し過ぎし昔の面影を失ってしまった川の惨状を嘆き悲しんだと言う。
で通りの傍らに”非常板”というものがあった。火事とか非常の際にはぶら下がっているトンカチで打ち鳴らすのだろうか。
歩き始めて10分程で旧国道との合流点にたどり着いたので、修正の旅岡部宿ミッションを完了しもと来た道を戻り、続けて二川宿目指して進んだのであった。

ここから岩村藩横内村

昔は鍛冶屋さんだったのか?

旧横内村松並木
岡部宿に入るがなにやら旧街道は舗装工事で入れないようなのでそのまま旧国道一号を藤枝目指して進む。
で松並木の残る道を進み藤枝バイパスをくぐると右手斜めの道をすすむ。でご自由にお取り下さいと書いてあるパンフレットを見るとこれより美濃国岩村藩領横内村ということらしい。でここも丸子同様、家々に往事の屋号を掲げています。朝比奈川に架かる橋を渡ると子供が水遊びなんかしているのを汗だくの俺様は恨めしげに眺めつつ、松並木のわずかな木陰で暑さをしのぐのであった。

藤枝宿手前の一里塚跡

クスの巨木

なぜか成田山

51個目の一里塚跡
で横内松並木を過ぎて国道一号を渡り、本当にこの道で合っているのかと不安になりつつ住宅地を進むと道路右手に白くペンキで塗られたみすぼらしい棒きれに”東海道一里塚跡”と書いてありひとまず安心した。葉梨川を渡り・・道なり右手に進むと須賀神社という神社があった。神社以上に圧倒される楠の巨木・・いったい樹齢何年なんだか・・で程なく国道一号を再び横断して商店街と化した藤枝宿。で成田山なんかある。とりあえずボケ封じの御利益とあるので、父ちゃん母ちゃんましてやおいらがボケませんようと祈願する。ここも三島と同じように宿場と駅が離れているが、結構繁盛しているようで、シャッター降りてたりテナント募集中の所はないようで何よりですな。しかし駅に向かった方がいいかなと思いつつも遠いのよね駅が。まだ予定の東名バスまで1時間余裕有るし、東海道に近いお隣の六合駅まで歩くか。でスタートから6時間半で六合駅到着。

六合駅

番外

で、予想外に藤枝から六合駅まで距離があり、結局予定した時刻より30分遅れとなってしまった。ふと六合駅にて名所案内を見ると狭軌最高と書いてある。六合−藤枝間で最高速を叩き出した様で見れば確かにまっすぐだ。で窓が曇るほど冷房効いた3両編成の東海道線に乗り込み西焼津駅に向かう。そこから東名高速バスの焼津西バス停に向かうと10分ほどでバスが来て静岡インターで20分の待ち合わせでお家に帰れるようだが・・・10分経って来たのは静鉄バス。お呼びでないので無視するが20分経ってもツバメ君(JRバスは横っ腹にツバメの絵が描いてあるので・・)はこないのでやって来た静鉄バスに乗り静岡インターに向かう。とりあえず静岡駅出たバスが10分後に来るのね。と大慌てでコンビニに向かいビールを調達。一応足柄SAで休憩停車するのだが、さすがに高速道路内では酒売ってないのだ。ドライバーばかりがお客じゃないのだが、改正道交法による飲酒運転厳罰化を考えると仕方がない。まぁ自分の車なら某SAに併設されたバス停から降りてコンビニに行く手も有るのだが・・。
再び猛ダッシュでバス停に向かうと信号に捕まるがまだバスは来ないようだ。しかし長い信号・・・げっツバメ君来ちゃった。せっかく汗がひいたのにと思いつつさらに猛ダッシュ。 そんなおいらに気づいたのか、ツバメ君もゆっくり走ってくれたみたいで何とか間に合い、またもやガラガラの車内でビール飲んで爆睡。結局予定より1時間遅くなったが無事おうちに到着。

9日目 興津−府中に戻る11日目 藤枝宿−島田宿−金谷宿−日坂宿−掛川宿へ進む
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