日時 | 宿場 | 天候 | 所要時間 | 歩数 | 距離 | 交通費 | ||||||||||
2004年7月9日 | 気賀〜御油 | 晴れ | 9時間40分 | 51391歩 | 36km | 約9460円 | ||||||||||
![]() 明治トンネルを示す看板 ![]() トンネル入り口 ![]() 弾け飛んだブーツ ![]() 10時で34℃かよ |
というわけで、朝10時くらいには出発しておきたいなと言うわけで朝の4時に出発しジムニーで一路西を目指す。 途中、工事渋滞なんぞで沼津通過が6時、とりあえずパンなんか買って食いながら走るとバイパスは信号での ストップ&ゴーが忙しいので旧東海道を 途中、静清バイパスの渋滞のため道の駅宇津ノ谷にたどり着いたらもう8時。 まぁついでだから明治の宇津ノ谷トンネルでも見物していくかという余裕をかましてきました。 ところが、車の通れないようなトンネルはナビにも載っておらず静岡側の入り口はわからぬまま 大正時代のトンネルを越え岡部に抜け、しばらく走ると明治トンネルの看板があり、 ジムニーですら対向車が来ないことを祈りたくなるような狭い道を進むと車止めがあったので 歩いていくと100mも歩かないうちにトンネル入り口に到着したがすでに汗がダラダラ。 大体東海道歩いて以来、ずっと気候の良い時期ばかり歩いているし普段はクーラーの効いた部屋で 過ごしてきたからすっかり軟弱になってしまったようだ。でトンネルは想像していた物より立派で 4t車位なら通れそうな感じだが煉瓦組んであるところは歴史を感じされられる。で中にはいると 「ゴー」っと風の音が聞こえるほど風が吹き抜けており涼しくて快適だが どうも気味が悪いので10mも中に入らぬうちに撤収。
となると今日は時間がないが、今度蔦の細道とセットでやっつけるとしますか。と早くも次回の旅の構想を 練りつつ焼津インターより一路、豊川インターを目指した。 で順調に掛川ICを過ぎた辺りでジムニー後方から「パシッうごごごごっ」妙な衝撃があったので動物でも 轢いたかとバックミラーを確認するが何も見えない。とりあえず小笠PAで確認するがタイヤは異常なし。 だが下回りを覗くと後ろのプロペラシャフトとユニバーサルジョイントの接合部のブーツが無い。 ついでにミッションのドレンボルトからオイル漏れているし・・・ まぁとりあえず雨でも降らなきゃ支障あるまいと再び走り始めた。 で豊川ICで降りて豊川市内を抜けて今日のゴール地点である国府駅に向かって走ると気がついたら姫街道。 歩いたら結構あるなと思いつつ国府駅前の駐車場にジムニーを置いて、名鉄、JR、天竜浜名湖鉄道を乗り継ぎ、 昼前に気賀駅に到着したのだが意外にも乗り継ぎの時の待ち時間が少ないにも関わらず、 直線距離で30km少々の距離を2時間とはなぁ。これじゃ誰も電車なんか乗らんわ。 | |||||||||||||||
![]() 本陣前公園 ![]() 堀川城将士最期の地の碑 ![]() 呉石學校の跡 ![]() 軽トラでギリの姫街道 ![]() 山村修理の墓 ![]() プチ小夜の中山? |
結局メシ食う暇が無かったので駅前で探すが何もないのであきらめて、11時50分スタート。 しかし暑い。豊橋駅にてビルの電光掲示板の温度が10時で34℃という状況だから、 すでに気温=体温だが、とりあえず風があるだけまだマシかと思いつつとぼとぼ歩いていると 本陣前公園というのがあったので寄ってみる。 河合象子終焉の地と看板がある。誰だか知らんし、あまりに日当たりがよろしいので早々に退散すると 獄門畷という物騒な看板がある。読んでみると家康君がこの辺りを仕切る今川義元君をボコりに行った際に 抵抗勢力2000人ほど切り裂いてさらにとっ捕まえた700人ほどのさらし首がずらりと並んでいた場所だそうな。
でスタートから15分ほど歩いてもうメシは諦めて呉石學校跡に建てられた公園で休憩。 なにやら細江町の藺草の歴史についての看板がある。こうしてみると藺草なんか見かけないが 安い中国産に押されてやっていけなくなったんだろう。 もう暑くて辛抱たまらんのでシャツ脱いでタンクトップ (おっさんが着るとランニングと言うのかも知れないが・・)一枚になり、 再び歩き始めるが人気のないところではタンクトップをめくり上げてたるんだ腹を冷やしながら進むのであった。
やがて人家も少なくなりみかん畑が見えて来た辺りで今度は左手に軽トラが通るのが やっとじゃねーのって感じのみかん山を登っていくを道に姫街道の道標がある。 で坂の中腹に山村修理の墓がある。説明書きに寄れば家康君が今川君にケジメ付けようと 三河から侵攻した際に今川側の堀川城を攻めて、なんとかここまで敗走した山村君も もはやこれまでと思ったのか自刃して果てたとのことである。
くたびれた 奴が見つける 一里塚という川柳に若干腹立たしさを覚えつつ、ここまでずっと上り坂だし確かにくたびれてますよと ブツクサ言いながらいやらしい一里塚を過ぎると今度は下り坂。でその先はまたまた上り坂の様だ。 となると今日の旅を東海道にたとえるなら 「小夜の中山」を彷彿させるアップダウン+鈴鹿峠を超える峠越え+真夏の名古屋の暑さ なわけで今日一日で御油まで無事生きてたどり着けるか不安になったきたが、 道ばたに咲く可愛らしい花に足を止める位だからまだ大丈夫だろう。 とは言えまだ一時間も歩いてないのだが・・・ | |||||||||||||||
![]() ダイダラボッチの足跡と伝えられる池 ![]() 小引佐手前からの眺望 ![]() 石畳の道 ![]() 薬師堂 ![]() 引佐峠への道 ![]() 姫岩 ![]() 引佐峠手前の展望台 ![]() 引佐峠 ![]() 象泣き坂 ![]() シロオニタケ(多分) ![]() 石投げ岩 ![]() 大谷一里塚跡 ![]() 三ヶ日宿 ![]() 本坂一里塚 |
坂を下りきったところには休耕田に泥水が溜まった様な沼があり、傍らの看板には伝説の巨人 「ダイダラボッチ」の足跡と伝えられる池だと書いてあったが琵琶湖掘った土で富士山作ったという スケールには少々見合ってないような気がする。 でさっきプチ小夜の中山的な要素があると書いたが、再び俺様の体力をしゃぶり尽くそうかという 上り坂である。 唯一救いは浜名湖を見渡すことのできる眺望。 いい風も吹いてくるしと上り詰めたところに小引佐という看板がある。 ってまた下りかよ! とブツクサいいながら石畳の坂道を下ると長年の風雪に耐え抜いた雰囲気のお堂があった。 看板によると薬師堂と言い天保年間に再建されたんじゃねーかな?と書いてある。 でその下にもかすれた中将姫の文字がかすれた看板があるのだが、日本史は戦国時代以前は疎いうえ、 古典文学はさっぱりときているので誰なんだか知らん。 まぁこのあたりの教養が備わっていれば街道歩きも楽しかろう・・・。 この炎天下で滝のように流れる汗と格闘してなければ。
なにやら草むらからブーンと羽音を響かせながら、俺様のまわりを飛び回る昆虫がいる。 アブでもハチでもないので攻撃されることはねーだろと、その鬱陶しい昆虫を 首にかけていたタオルでバシッっとたたき落とすとそいつはタマムシだった。 まぁ今後、玉虫厨子をリニューアルとかいう話があるかどうか知らんが、 材料としてキープしておいてあげよう。 しかしまた地元の方が整備してくれなきゃあっという間に夏草で覆われて自然に還って しまいそうな道である。 季節さえよければ、木立の中を時折開けた視界の先に広がる景色がナイスなハイキングコースだが、 夏の盛りじゃ鬱蒼とした木々に風を遮られ、汗でベタつく肌にまとわりつく蜘蛛の巣を打ち払いながら、 視界が開けりゃ今度は容赦なく照りつける太陽に肌を焼かれガックリとペースを落としつつ、 風通しの悪い木立の峠道を進むと東屋発見。 人の気配が無いのを良いことに上半身裸になり、汗まみれの体をタオルで拭いたらタオルグショグショに なったので姫街道の云われについて説明してある看板に、引っかけて干しつつ一服。 いやぁクラクラするぜ。でもこれは経費節減のため買ったエコーのせいじゃねーよな。 なんたってデフォルトがハイライトだし。間違いなく熱射病一歩手前だな。 でしばらく休んでから看板をみると「姫岩」についての説明がある。 どうやら東屋の下にある平べったい岩を姫岩と呼び、ここに座ると「良いことがある」と書かれているので、 何の苦労もなく良いことが起こるのであれば座ってみるかと、姫岩の上で胡座をかいたが 今日現在、宝くじに当たったとかおねーちゃんとの出会いが会ったとか全くない。
さて、結構登ったような気がするが未だに峠にはたどりつくことが出来ず、 10分ほどで先ほどの東屋より小綺麗な東屋に到着した。 普通ならさっき休んだばかりだし、通過なのだが明らかに姫岩に居た頃より、 めまいやら吐き気やら頭痛が激しくなってきたので再び休憩。 とりあえず水道の水でタオルを濡らして首筋を冷却しつつ20分ほど横になって 生き返ったところで周りの景色に目をやると結構な眺望。 で再び、引佐峠目指して進むと、道と云うより草むらみたいなところを蜘蛛の巣を 払いながら15分ほどで引佐峠に到着した。 ここは細江町と三ヶ日町の境となっており、非常に案内板の充実した細江町に 別れを告げ、峠を下り三ヶ日町に入った。
なんでも象を江戸に連れて行く途中、このあたりでしんどくなって「ぱお〜ん」と鳴いたそうだ。 そりゃこんな石畳の坂を登ってきたら象でなくとも鳴きたくなるに違いない。 つか東海道ならしんどい坂なんて新居と白須賀の間の潮見坂位なもんで、 なんぼ船や関所がイヤだからと姫街道なんか行く姫様はよっぽど体力自慢だったに違いない。 まぁ本当のお姫様ならこんなところは駕籠で行くんだろうけど、それだってこんな山道じゃ 激しく酔いそうだ。 でふと前方になにやら巨大なアレが・・。 あまりに立派なので500mlのペットボトルと並べてみるが、俺様を遙かにしのぐほどの威容である。 キノコの分際で 多分シロオニタケという食えない茸だと思う。 まぁ道の真ん中にキノコが生えるようなジメジメしたところを歩いていたら、大分体力も回復し 「石投げ岩」と案内のある岩に向かって石をぶつけるほど復活してきたが、 こんな調子で果たして本坂峠を越えることが出来るのかどうか不安になってきた。
そろそろペットボトルのお茶が底をつきそうなのであまりのどかでも困るなぁと思いつつ 大谷一里塚跡。さすがに今時一里塚の脇に茶店なんぞないから素通りするとようやく人家が ぽつぽつと現れだし、Dydoの自販機発見。 スポーツドリンク500ml一気に流し込んで汗として流れたナトリウムやらカリウムやら 各種ミネラルを補給し、続けてお茶なんか仕入れて当面の水分補給の目処が立ったので散歩再開。 でもあっという間に休憩ポイント捜索モードに入るのだが・・・・。 細江町ほど公園とか東屋とか無かったりするのでやむなく東名のトンネルで涼んでいたりしながら 三ヶ日宿到着。 郵便局の前に東海道で見慣れた道しるべがあり次の嵩山宿まで2里18町・・・9kmちょいか。 そこから御油までさらに10kmくらいだからゴールは8時かなぁ。 と考えながら歩いているとちょうど小学校の下校時間にブチ当たったためか 小さな体に不釣り合いなランドセルを背負った女の子が前を歩いていた。 一応炎天下15km近く歩いてヘロヘロな俺様とはいえ、小学校低学年の歩くスピードよりは 速かったりするので距離が詰まる・・・。 すると後方からのただならぬ気配に一瞬振り返りこわばった表情を浮かべて猛ダッシュ。 追いつく 猛ダッシュ がきんちょとは言え、俺様の甘く危険な香りを女の感で嗅ぎ取ったようだ。 前にも東海道石薬師宿あたりでこんなことあったなぁと思いつつ さすがに、偶然進行方向が同じとはいえども何遍も猛ダッシュさせるのは気の毒だなぁと思っていたら 釣橋川と宇利山川の合流点に公園を見つけたのでしばし休憩。 引佐峠以来約2時間ぶりに座って休憩は良いのだが日当たりが良すぎるので早々に退散。 で「釣」というバス停を過ぎ、姫街道はは国道362号に合流し、 いよいよ本日の最大の難所本坂越えである。 緩やかなカーブを描きながら登っていく国道を進み、一時国道から左に逸れて本坂一里塚を眺め 再び国道へ戻り国道を横断して、民家が軒を並べる旧姫街道に入る。 でここで再び学校帰りの女の子と遭遇し 追いつく 猛ダッシュ こんなことを繰り返しつつ、女の子は路地に消えていった。 しかしまた舗装が荒れているなぁと思っていたら人家も両脇にあるのにいつの間にか 道はダートになっていた。 国道に出る手前のコンクリートの擁壁に寄りかかり本坂峠越えに備えてしばし休憩してから 国道に戻り、本坂峠の入り口にたどり着いた。 | |||||||||||||||
![]() 本坂峠入り口 ![]() 本坂峠 ![]() 弘法水 ![]() 嵩山一里塚 ![]() コウモリ ![]() 豊川市 ![]() 東海道 |
引佐峠で想像はしていたが、ぬかるんだ地面に倒木が横たわり、草ぼうぼうで蜘蛛の巣だらけで
車道から投げ捨てられたゴミが至る所に落ちているというなかなかすごい状況である。
まぁこうやってゴミをそこいらにポイポイする奴はどーせロクデナシのクズ野郎に違いないので
厳罰に処して欲しいところである。 がしかしそんな俺様に疲労か熱射病なのかはたまたロクデナシのクズ野郎の祟りかどうか知らんが、 猛烈な吐き気が襲ってきた。 後から通る人が 「こんなところにゲロ吐く様な奴はどーせロクデナシのクズ野郎に違いない」 と思われるのもイヤだが、それにも増して余分なエネルギー使うとブッ倒れる可能性だってある。 まぁぬかるんだ地面の通りあちこちから湧水がありこれが幸いしタオルを濡らして首筋にあてがい、 汗が乾いてジャリジャリの顔を拭いて、ぬれタオルをブンブン振り回して 俺様の行く手を阻む蜘蛛の巣を蹴散らして峠を目指した。 何とか本坂峠に辿り着きここからは愛知県、遠州から三河にきたぜと感慨にふけっているとなにやら人の気配がする。で振り返るとハイキング風の親子いたので、こみあげる吐き気をこらえつつ挨拶するとレジ袋にぎっしり詰まったワラビを掲げて「いや〜こんなに採れちゃった」と・・・。些か季節はずれの様な気がするがもしやと思い、親子連れの足をみるがちゃんと地面に着いているのでこんな時期でもワラビ採れるんだと納得し嵩山を目指して下りはじめてやはり気になったので、振り返るともはや人の気配は無かった。 やっぱ山慣れした人は足が速いなぁと無理矢理納得しつつ、本坂峠でワラビ採りに行って行方不明になった親子なんかいませんよね。 んでちょいと下ったところに弘法水とかかれた泉があったのでなんか御利益あるかなとちょいと口に含んでみたが土の味がした。 きっと弘法大師様ほど徳を積むと泥水だって清水に変わるんだろう。 看板の説明によれば 「昔、弘法大師がこの地を訪れた際、喉を潤したとされる言伝えがある。」 うーん。雨が降らなくて困っている村人さんのために錫杖を「えい!」と突き刺したところ、絶えることなく清水が湧き出したとか云うわけで無く、「喉を潤した」かよ。 まぁせっかくなのでタオルを濡らして、首を冷やしつつブンブン振り回して蜘蛛の巣を蹴散らしながら下っていくと嵩山一里塚があった。さっきの本坂一里塚が16:15で現在17:45だから4km通過に1時間半も掛かっている。まぁ後は嵩山から豊川まで行って、後日に回そうと考えつつ前方が開けて来た。久々にみる人家である。人家はいいが尋常ではない勢いで犬に吠えられる。うーん本坂峠で何か背負ってきちゃったんだろうか。 で道は国道362号に入り、バス停が有るので自由が丘とどこかで聞いたようなそのバス停の時刻表をみると、18時過ぎだというのにもう終バスが行ってしまった後だった。あきらめてトボトボと歩いていると豊川に差し掛かった。で足下をふとみるとなんかいるのでつま先でつついてみるとジタバタしているので大きめの蛾かなとよく見るとコウモリだった。暗くてよくわからんが怪我して飛べないのか。車にぶつかって気絶していたのかよくわからんけど、まぁ我が家の界隈も夕方コウモリが”ぱたぱたた”と飛んでいるし、飛べるようになるまで保護してやるかと捕まえるがえらくおとなしいし、半ば冷たくなっているのでだめかなと思いつつも、手で暖めていたらジタバタし始めたので一安心。 ハムスターより肌触り良いし、臭いも無いのでペットとして流行るんじゃ無いかなぁ。血吸ったりしない奴ならね。 で奴は1週間ほどミルワームやら子猫用ミルクなど与えたらみるみる回復し、部屋の中で放し飼いにしていたらどっか行きやがった。 で豊川市突入なわけだがもうすっかり暗くなってしまった。バスで後日後回し作戦が使えない以上、最後まで歩くしかねぇなと覚悟を決めたが道路はすっかり拡幅されてしまい、旧街道の趣なんざありゃしない。途中、栄養ドリンクとかでドーピングしながら歩くという涙ぐましい努力?にも関わらず、 最後の最後でしくじりました。 本当なら国府駅の先の跨線橋を行って追分でゴールなんだけどその手前の国府駅入り口で曲がってしまい、東海道との交差点になんら道標は無いのであらららってことになってしまった。時刻はすでに21時半を回っており、また今度でいいやと撤収。 | |||||||||||||||
以下はリベンジの記録である。 | ||||||||||||||||
日時 | 宿場 | 天候 | 所要時間 | 歩数 | 距離 | 交通費 | ||||||||||
2004年8月14日 | 気賀〜御油 | 晴れ | 12分 | 1166歩 | 0.81km | 150円 | ||||||||||
![]() 国道一号追分 ![]() ニセ追分 ![]() 東海道追分 ![]() 常夜灯とか |
というわけで、前回チョンボゴールだったので、中山道守山宿から関ヶ原あたりを目指して歩く移動のついでにキッチリけじめつけておこうと国府駅に向かう。でR1を延々走ると方向幕が「電車代行」となっているバスが走っている。んで国府駅に着くとなにやら騒々しい。 踏切事故で電車が止まっているらしく乗客が駅員捕まえて騒いでいた。いくら怒鳴ったところで電車が動くわけで無いし馬鹿めと思いつつ姫街道国府駅入り口の交差点に到着。動いてない名鉄の跨線橋を越えて一号線追分の交差点に到着。長いこと信号で待たされ、姫街道と東海道の追分に到着・・・あれ?道標がない。まぁいっかと左に曲がり、じゃそこの喫茶店で飯でも食うかと思い・・・思い出した・東海道歩いたときにここで朝飯にモーニングやっつけたよなぁ。「あれ!?じゃ東海道はもう一本向こうの通りじゃねーか」危うく再びチョンボするところだった。 ちゃんと道標もあり、常夜灯もある。一応これで見付から御油まで姫街道を歩いた訳だが、おいらの通ったルートは天竜川を越えてから北上し三方原に抜けたのだが、二川宿の本陣資料館に立ち寄った際に浜松から三方原に抜けるルートと嵩山から吉田(豊橋)に抜けるルートもあることが判明、全踏破とは言えないのである。 特に浜松三方原ルートは家康君と信玄君のバトルの歴史があったりするので是非訪れたいところである。 |
姫街道2日目 安間−気賀に戻る | 東海道14日目 吉田〜御油〜赤坂〜藤川〜岡崎へ進む |
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