日時 | 宿場 | 天候 | 所要時間 | 歩数 | 距離 | 交通費 | ||||||||||||
2006年10月8日 | 倉賀野〜本庄 | 晴れ | 3時間32分 | 21427歩 | 14.99km | 4840円 | ||||||||||||
![]() 倉賀野駅 ![]() 倉賀野駅その2 ![]() 倉賀野駅前 ![]() 道標 |
まえがき というわけで、前回の安中〜倉賀野が6月後半で、今は初秋の感がある10月始めとずいぶんブランクが開いてしまった。昨年の夏は和田峠を越えて碓氷峠に下りてくると言う壮大な?旅だったが、あの続きとなると関東平野をひたすら歩くだけなのでせっかくの盆休みだしもうちと夢のある?旅をしようと甲州街道も考えたが歩くための資料が揃わず、結局遠山温泉かぐらの湯の売店で仕入れた塩の道秋葉街道について書かれたガイドブックを頼りに歩いて余りの道の険しさと暑さで途中リタイヤとなった。 いずれこのネタはおいおい書くとして、真夏に盆地気候やらフェーン現象でキチガイじみた暑さの真夏の天竜周辺を歩いておきながら、ある意味天竜に負けないほど暑い熊谷は夏場は避けたいので涼しくなるのを待って街道歩き復活である。 復活の理由の一つめがこうして歩いて気持ちいい季節になった事に加え、2つめの理由が焦りである。 それはNHK-BSで東海道53次を元平塚ベルマーレを始めとして色々渡り歩いた岩本輝に続いての企画で中山道を元長野五輪ショートトラックの選手だった勅使河原郁恵さんを京都から日本橋に向かって歩いていただくという番組が始まり、丁度俺様の歩いているコースと同じなのでさながら追われている様なもんである。 というわけで前回のゴール地点の倉賀野まで湘南新宿ラインで向かうが途中、赤羽駅で荒川の橋で強風のため電車が停まってしまった。 で漸く動き始めたものの安全のため赤羽〜川口間で速度を落として運行したお陰で10分遅れで大宮に到着しここから高崎線に乗り換え、結局大した遅れもなくほぼ予定通り倉賀野駅に到着。 駅名を記した看板の柱には海抜83mと書かれている。そばには名所案内という看板が建てられおり、中山道関連では日光例幣使街道が案内されている。
で左手の細い道を進み中山道を目指す。前回の中山道ゴール地点から倉賀野駅に向かう途中に有った「左ステーシヨン 大正九年十月一日建立」と刻まれた道標の別の側面には 「向 倉賀野停車場道」と刻まれていた。 | |||||||||||||||||
![]() 倉賀野宿 ![]() 右手に逸れる ![]() 常夜灯 ![]() 常夜灯と道標 ![]() 常夜灯と高崎線の跨線橋の間付近 ![]() 高崎線の跨線橋 ![]() 高崎線の跨線橋より高崎方面 ![]() 高崎線の跨線橋より本庄方向 ![]() 倉賀野宿1.0km 新町宿4.2km ![]() 国道17号との交差点 ![]() 東京まで99km ![]() 狭い道 ![]() 烏川 ![]() 柳瀬橋 ![]() 柳瀬橋その2 ![]() 柳瀬橋その3 ![]() 烏川下流方面 ![]() 烏川上流方面 ![]() やっと柳瀬橋を渡る。 ![]() 赤城山? ![]() サイクリングコース ![]() 利根川合流点より7km ![]() 運動公園入り口 ![]() 暴風下の少年野球 ![]() 虹? ![]() 関越道 ![]() 関越道をくぐる ![]() 新町宿まで0.8km ![]() 宿場まで0.8kmには見えないが ![]() 県道に合流 ![]() 高崎・藤岡市境 ![]() 弁財天 ![]() 弁財天公園のけやき ![]() スリーデーマーチ発祥の碑 |
そんなわけで12:35に前回のゴール地点から歩き始めた。 前回で本陣なの主要部を通り過ぎたようで特に何もないまま宿場が終わり、5分ほどで分岐点を右に逸れる。すると首からカメラぶら下げた同好の方が反対側からやってきた。この分岐点にはなにやら古めかしい常夜灯が建っており、しきりにカメラに納めている。 山の中だと違和感なくご挨拶出来るのだが、街中に下りてくると妙な恥ずかしさがある。 で気になる常夜灯だが、看板に説明が書かれている。説明によればここを左に行けば日光ということで間違えると大変な事になってしまうが、多分利根川のほとりに出たところで気付くだろう。 というかそんなことがないように「右江戸道 左日光道」と刻まれた道標がご丁寧に立てられているのだった。
かといって街道沿いが開けているかといえば否である。電車が遅れたおかげで大宮駅で駅弁を買い損ねて昼飯にありつくことが出来なかった俺様をあざけ笑うが如く、街道沿いにはパチンコ屋と工場しかない。 やがて高崎線の跨線橋に差し掛かったが、元々は高崎線の線路もなかったはずだが跨線橋の下に道路があった痕跡はすでに無かった。跨線橋の上から高崎方向を眺めると遠くに山並みが見えるが、方角的には赤城山か榛名山だと思うが区別がつかん。 一方上り線方向はひたすら真っ平らである。で正面にはマニアには評判なCD-Rを作っている太陽誘電の工場があった。 跨線橋が下りに差し掛かる辺りに倉賀野宿1.0km 新町宿4.2kmと書かれた道標が建っていた。とりあえず1時間あまりで新町宿に入るようだが、この調子では宿場町の面影はまるで無いかも知れないなぁ。 で10分程歩いたところで国道17号にぶつかる。さすがに国道17号だけに遠くにファミリーレストランの看板とか見えるのだが、遠すぎるので見なかったことにして先に進む。 国道17号を渡るときに「東京99km 熊谷32km 本庄11km」と書かれた道路標識があった。 やっとこれで東京まで100km圏内の入ったわけである。 国道17号を渡ると、これまでとはうって変わって狭い道となった。しばらく歩きつつけて思いついたが、現在この道と平行に流れる烏川を渡らないといけないんじゃなかったけ。 で今日は事もあろうか25000分の1の地図にルートを記した地図を忘れているのでやむなく文庫本サイズのガイドブックで確認するとものすごくわかりにくいが行き過ぎたようである。 とりあえず川沿いの土手まで出て、行き過ぎた分を戻って柳瀬橋を渡る。 前日までの雨で川の色はドロドロである。なお有り難いことにちゃんと歩道もある立派な橋だが、トラス構造の年期の入った車道側はちょっと狭そうである。 しかもこの橋、結構長く渡り終えるまで5分ほど掛かってしまった。 橋を渡り終えると川沿いに伸びるサイクリングコースを進む。台風一過で普通に歩いていても自然と駆け足となるような強い追い風なわけで、ペースは稼げそうだが後でどこかに負担が掛からないかちと心配である。 で一応サイクリングコースのようだがこんな陽気に自転車漕ぐ人も歩いている人もおらず、突風に煽られ突然走り出す姿を誰にも怪しまれずに(多分)どんどん進んでいく。 烏川の対岸には赤城山(多分)が見える。単独峰なら断定できるが複数の峰々からなっていると正直わからん。 しかし長げーサイクリングコースである。とりあえず「利根川合流点より8km」と書かれた標柱が土手に刺さっているがいったいどこまで歩くんだろう。 まぁ強烈な追い風のお陰で歩くというより軽いジョギング状態なわけで、向かい風で無くて本当に良かった良かった。 で土手の下を平行して走る県道にはなぜか群馬県が立てた中山道の道標がある。ちなみに新町宿1.8kmと書いてあった。 これまで昔の道が失われたため代替ルートで川沿いといったケースはあったが、大抵川の氾濫に備えてか街道と川は距離か高さで離れていたように思うのだが、まぁ見渡す限り平地なので川を巻くルートの作りようが無いのかも知れない。 追い風でペースを稼いでいると「利根川合流点より8km」から10分ほどで「利根川合流点より7km」地点に到達した。多分時速6kmペースで進めたのはここくらいだろうな。普段は平地ですら時速4kmが精一杯だし。 利根川合流点まで・・・の標識のそばは烏川緑地の入り口となっており、さらにその先1kmで運動場と書かれた標識が建っている。 ここからしばらく歩くとこの強風のなか少年野球なんかやっているが見ているだけでなんだか口の中がジャリジャリになりそうで大変そうである。 グランドの先に見える山には虹が見える。普通虹といえばお空に向かって再び地面へ向かう様に弧を描いたものが普通だが、こいつは山裾に漂うというかへばりついているように見える。おそらくあの辺りに降った雨だか霧に写しだしたもののようである。 砂煙のグランドを過ぎてさらに土手沿いのサイクリングコースを進むと、関越道が見える。思えば東海道は都市高速を除くと東名、名神高速くらいしか接点がないけど、中山道は、名神、中央道、長野道、上信越道とバリエーションに富んでいる。まぁ国道もそうだが、よく考えたら中山道も地域ごとに美濃路、木曽路、信濃路と名前が変わっているしなぁ。 かれこれ、吹き飛ばされるかのような強い追い風にあおられ歩くこと20分あまりで関越道をくぐる手前で土手下の道におろされた。しばらく進んで見つけた道標には倉賀野宿まで4.4km、新町宿には0.8kmと書いてあるのだが、宿場町が近いようにはあまり思えない。 まぁ道標も有ることだし中山道には間違いないようなので進んでいくとサイクリングコースから外れること10分余りで県道との合流点に差し掛かった。合流点の先には小さな川に橋が架けられており、その向こうには高崎市と書かれた標識がある。後で地図を見て確認すると柳瀬橋からここまでは高崎市では無く藤岡市になっていた。 橋を渡って右手には弁天様が祀られている。
弁天様の隣には大きな木とトイレがある公園があったので、倉賀野駅から1時間以上歩き続けているし、ここいらで休憩することにした。 トイレで用を足して、ベンチに腰掛け一服・・・ってあまりの強風で3服ほどで燃え尽きてしまうし、しかも頭上で木が強風にあおられて軋しむ音がして、ぶっとい枝が頭上を直撃しやしないかと落ち着かないのでまぁ取り敢えず周囲を散策してみることにした。 このでっかい木は看板によればケヤキだそうである。樹齢までは書いていないがかなりでかい。 で、公園を出ると「日本スリーデーマーチ発祥の地」と刻まれた石碑が建っている。 そばには説明が有るのだが斜め読み程度では内容を把握できなかったのでじっくり立ち止まって読むのも面倒なので、看板を写真に収めて先に進むことにした。
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![]() これより新町宿 ![]() 新町宿の標柱 ![]() 小林本陣 ![]() 旅篭高瀬屋跡 ![]() 小林本陣前の中山道 ![]() 高札場跡 ![]() 高札場跡前の中山道 ![]() 芭蕉句碑+大トカゲ ![]() 芭蕉句碑その2 ![]() 常夜灯 ![]() 東京まで94km ![]() 神流川合戦の碑 ![]() まもなく埼玉 ![]() かんな川 |
というわけで弁財天公園を出ると、新町ガイドマップと新町宿→と書かれた標柱が立っており、ここから新町宿となるようである。 ただ新町ガイドマップも街道に面した部分について記された箇所はあまりないし、道は拡幅され、あまり古いお家も無さそうなのであまり史蹟は残されていないようである。 宿場入り口と言いながら宿場の面影がまるでないのだが、入り口から程なく、小林本陣跡と書かれた標柱があった。ただし、標柱の前には割と新しめのお家である。 まぁ本陣跡が古民家だと良いなぁと言うのは旅人の勝手な妄想なので、都合で立て替えられたりしてもしょうがない。 で3分ほど歩くと道路の反対側に”史蹟旅篭高瀬屋跡”と書かれた石碑があった。なにやら細かく書いているようだが肉眼では判読不能。かといって道路渡るのも面倒なのでズーム目一杯で撮影。 あとで見ると移り込みが有って非常に読みづらい。どうやら小林一茶がこの地を訪れた紀行文の一節が記されているようである。 さらに歩いていくと高札場跡と書かれた標柱を見つけた。どうやらこの辺りが江戸側からの宿の入り口のようである。京都側の新町宿入り口の標柱から7分ほどなのでだいたい長さ500m位の規模の宿場町だったようだ。 で高札場跡から歩くこと7分余りで、公園の一角にある滑り台にリアルな気色悪いオオトカゲが寝そべっている。ふつーの感覚なら滑り台にはキリンさんだろと思いつつ良く見ると、その脇には芭蕉句碑がひっそり建っていた。 この気色悪い大トカゲに気付かなかったら素通りしているところである。
芭蕉句碑を過ぎると国道17号に合流する。合流点には常夜灯と道標が建っていた。 御影石の道標には 従是 右 碓氷峠十一里 左 江戸二十四里 と刻まれている 碓氷峠からかれこれ歩いて四日目になろうとしているが44kmしか進めていない。 一方江戸までは96kmも有るわけでこんなペースじゃ一週間かかっても辿り着けないことになる。 で割と新しめの常夜灯の下には、見通灯篭再建の記という石碑が有った。
さらに歩くと神流川のほとりに出た。なにやら神流川合戦と書かれた看板がある。
程なく、橋に差し掛かり遠くに埼玉県上里町の看板が見える。群馬側を振り返ると国土交通省の「かんな川」という看板があったので、かんる川と読んでいた過ちに気がついた。 というわけで滋賀、岐阜、長野、群馬、歩いて14時18分埼玉県入り。 | |||||||||||||||||
![]() これより埼玉 ![]() 埼玉側に看板発見 ![]() 赤城山? ![]() 神流川を渡り程なく右へ ![]() お堂 ![]() お堂前の道 ![]() 中山道の看板前の道 ![]() 再び国道17号に合流 ![]() 神保原 ![]() 浅間山古墳 ![]() 本庄市 ![]() いかにもな分岐点 ![]() 細い道を進む ![]() 国道462号歩道橋より秩父方面 ![]() 国道462号歩道橋より伊勢崎方面 ![]() 茂木小平翁頌徳碑 ![]() 引き続き細い道を進む ![]() 立派な山門のある寺 ![]() 消防署の櫓 ![]() はにわ ![]() 本庄宿 ![]() 本庄駅入口 |
というわけで神流川を渡る。右手には高崎線の鉄橋があり、これまでの中山道上州路の行き帰りに車窓から眺めていた風景を今歩いているわけでここからは旧国名も武蔵になる。 神流川を渡りきる直前で土手の向こう側に看板らしきものを見つけたのでちょっと寄ってみるとこちらにも神流川の合戦について記されていた。
で橋を渡ってしばらく歩くと、国道17号からいかにもといった感じで左手に別れている道があった。見ると電柱に赤テープが貼られ左を指している。お陰であんまり地図を見なくても勘とテープを頼りに進むことができる。 実はこれを書いている頃、中山道はすでに上尾まで進んでおり(まぁ実は上尾からの帰りの電車の車中で書いているのだが)、平行して去年の夏から、秋葉街道という遠州掛川から秋葉山を経て、酷道マニアには有名な分断酷道152号をほぼトレースし諏訪から松本へ抜けるルートを歩いている。きっかけは信州最南端(多分)の温泉の売店で”塩の道”と題されたガイドブックを手に入れたことに端を発し、眺めるだけのつもりが調子こいて歩き始めたらさぁ大変。掛川や森町の平野部はまだ良かったが、森から秋葉山までのルートは同じ茶所である東海道の小夜の中山を軽く凌駕する山道で、迷うこと迷うこと。ガイドブックに地図が有ったところで25000分の1の地図に載ってないような道が秋葉街道塩の道で、秋葉山を過ぎて佐久間のほうに抜けるルートといったら、もう藪で微かに踏み跡が残っているならまだしも、杉やら檜を伐採した後ともなるとどれが道なのかさっぱりわからない。一応要所要所には看板が建っているのだが、まぁ無事に帰って来れたことが不思議なほどである。取り敢えず秋葉街道は下草もなく熊やらスズメバチやらヒル出没の時期を避けて細々と続けるつもりだが、中山道を終えた後は、甲州街道でも歩いてみるか。ただ中山道の至る所の赤テープのコース案内で地図を読む力が全く育っていないので大丈夫なんだろうか。 話は大分ずれたが、こうして大丈夫か?と思いつつ歩いているときにお堂とか道祖神などがあると街道に沿って歩いていることが多いので安心できる。ただこのお堂は古く見えるわりにはガイドブックにも紹介されていないのでなんのお堂かは不明である。 でこの道、歩道部分は緑色に塗られているだけであるが、どちらも17号バイパスにつながっているため、わざわざこっちに迂回する車も居ないせいか交通量は少なめである。 さらに5分ほど歩くと、集会所の前に中山道と題された看板が建っていた
特に目新しい物もないまま15分ほど歩くと、前方に小山が見える。近づいてみると赤い鳥居と看板が建っており、浅間山古墳とある。
誰のものかとは書いていないけどこの辺りを支配した地方豪族のものですかね。”旭・小島古墳群”とあるようにあちこちに点在する様なのでGoogleEarthで見るとあちこちにそれっぽいものが点在していました。 で歩くこと3分余りで本庄市に入った。 しかし本庄市に入ったものの特に見所は無いまま15分ほど県道を歩いていると、県道は右にカーブし細い道が真っ直ぐ延びているいかにもといった感じの分岐点がある。家並みの雰囲気からしてこっちの細い道だろうなと思い目印を探すと30㎞/h制限の標識に赤いテープが貼られていた。有るものは利用させていただくというスタンスな俺様だがこう目印に頼っていると地図を見る力が養われないよなぁ。 で細い道を5分ほど歩くと、国道467号に突き当たった。 さすがに片側2車線で中央分離帯にフェンスが備えられた国道を突っ切るのは無理なので歩道橋を渡ることにする。 一面真っ平らで回りに高い建物が無いので歩道橋から秩父の山並みやずいぶん遠くまで見通す事ができる。 歩道橋を越えると再び先ほどまで歩いてきた細い道の続きの様である。で神社の脇に石碑が有るので、さっと眺めて後で確認すりゃいっかと写真を撮る。 石碑の文字は確認出来なかったが、そばには以下のような看板が建っていた。
しばらく歩くと左手に立派な山門のある寺が有った。山門もさることながら本堂と思われる建物もでかい。あまりの威容っぷりに近づくことが出来なかったので先を急ぐ事にする。 更に歩くと大分、本庄宿に近づいた様だが、まだ宿場だった事を示すものは無く、気がつくと消防署の前を過ぎて、寄り道しようと思っていた本庄市立歴史民俗資料館にたどり着いた。 ん?確か事前に調べた情報ではこの歴史民俗資料館は街道沿いではなく一本引っ込んだ路地に有るはずである。というわけで道は真っ直ぐだったがかつてはクランク状になっていて一本向こう側の県道に通じていたのであろう。 まぁ取り敢えず現在地とこれから進むべき方向がわかったので儲けものと考えることにした。 地図を確認すると、先ほど渡った歩道橋の先は真っ直ぐ進まずに右に曲がって県道を左に行くようである。 で目的の歴史民俗資料館に辿り着くと敷地の片隅に本陣の門が移築され展示されていた。まぁ間違えたとは言え遺構がこっちにあるんだからあながち道を間違えたわけでもないのかなぁ。 無事閉館時間にも間に合ったことなので中を見物させていただくことにした。 中に入ると、近所の古墳から出土したとおぼしきお馬さんの埴輪などが展示されているのだが、しかしまぁバラバラになっていくつかのパーツが失われたものを復元するんだから大したものである。
で5分ほど歩いたが、これといったものが無いまま本庄駅入口の交差点に出た。16時かぁ。このまま歩くかゴールにするか微妙な時間だが、この後、駅は岡部、深谷と続いているが岡部駅は街道から離れているし、深谷までは10km近くあるのでここでゴールにすることにした。 |
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