十八日目 三雲駅〜京阪三条駅まで

日時宿場天候所要時間歩数距離交通費
2002年8月22日水口〜三条大橋晴れ12時間30分※1 32802歩※1 距離 24.126km※2 8500円

大沙川のトンネル

大沙川

弘法大師ゆかりの杉
またまた名阪健康ランドで爆睡し、気が付くと見知らぬおっちゃんが俺様の隣でマグロにの様に横たわっていた。そんなに混んでないのになぜ?。あたし寝ている間に何かされちゃったのかしら?といささかブルー入りつつも朝風呂でおっちゃんのエキスをたんまり吸い取り、昨日見つけた一日400円の貴生川駅に近いコインパークに車を停め、草津線に乗り込み8時に三雲駅前をスタート。
ってなんだか桑名〜四日市に負けない位車がバンバン走ってます。道幅だって江戸時代からちょっと拡幅された程度なのになぁ。まぁヨソ者には危なく思えても地元じゃ当然と思っているなら仕方がないなぁ。で15分ほどトンネルがあるが上を走っているのは道路でもなく線路でもなくなんと川なのである。珍しい光景なので写真を撮ってみる。で反対側に行くとでっかい杉の木が川の土手に生えている。なんでも弘法大師が植えたとも大師が飯食った後に杉箸を地面に刺してほったらかしたら(お行儀悪いので普通の人はやっちゃいけません。)2本の杉が生えたとかいう杉の木だそうな。階段があり上がってみると川は干上がっていた。

石部宿入り口

石部宿の町並み

近江富士?
で9時35分に石部宿着。街道には宿場の面影はあまり残っていない。そりゃそうだ京都から三つ目の宿場だ。日本橋から三つ目の神奈川宿に往時の面影を求めるようなもんだ。でしばらく歩くと前方にきれいな三角錐状の山が見えるますがこれって近江富士っていわれている山ですか?
やっぱり春は新緑、秋は紅葉と変化を見せる里近くの山もいいなぁ。なんせ本家は石コロだらけの山だしな。
で名神高速道路をくぐり家康さんの腹痛を治したと言われる旧和中散本舗を過ぎ手原駅近くでなんかフラフラしはじめた。昨日おとといに較べてちょっと暑いし風も弱いけど激暑の名古屋を歩いたときに較べりゃ遙かに天国だから熱射病ではない。昨日も7時間爆睡しているから寝不足でもない。・・・なぜだ?
あっメシ食ってないや
いくら脇腹辺りに年相応の皮下脂肪ぶら下げているとは言え、急には皮下脂肪は燃料になってくれないのだ。大体ここまでメシ食えるような店無いし、後は婆さんが店番やってて口に入れられそうなものスコールとボンタンアメくらいしかしか売って無いような店ばかりだしなぁ。と自販機で仕込んだリアルゴールドで非常食のカロリーメイトを流し込み、しばし休憩の後歩き始める。あははウソみたいに治りやがった。しかしこの辺り栗東市と書かれているがいつから栗東って市になったの?

SLの動輪

中山道東海道の追分
で歩いているとなにやら庭先に妙なものを置いた家がある。なんとSLの動輪を飾ってある。で草津川に沿って歩きR1を渡って・・・あらら草津駅の方に出てしまった。もう少し出前で草津川を越えるのかと地図で確認し税務署近くから橋を渡って、軒を道一杯まで拡げた家並みを歩いて突き当たりに道標と灯籠がある。右行くと中山道で左行くと京。まぁそのうち体力と時間と財力が有ればせめて木曽路だけでも歩いてみたいもんだな。

大福帳。赤丸右が浅野内匠頭さんで左赤丸が吉良上野介さん

雪隠(便所ですな)
で13時草津宿に到着。ちょいと寄り道して草津宿本陣を見学。で大福帳なんか残っておりなんと浅野内匠頭さんと吉良上野介さんの名前がある。(おいらにゃ読めないけど)この他、徳川家茂さんの所に嫁入りされた皇女和宮様を始め、明治天皇が遷都の際にお泊まりになられたそうである。あっ・・今まで街道にあちこちあった明治天皇御休処の石碑は京都から幕府が崩壊した後、東京に向かったときにお休みになられた所に建てられたものだったのか。別に旅行好きだったからあちこちに碑が建っているわけでは無いのね。
で奥に進むと雪隠。なんと畳が敷いてある。土間から厩も玄関から大名が馬に乗ったまま入ってこれるよう細工がしてある。でよかったら記帳してねとばかりにご芳名帳と筆ペンが置いてあったが皆さんあまりに達筆なのでおいらは遠慮しておいた。
で表に出ると脇本陣。土産物屋兼食堂のようで、早速おまかせ定食に草津地ビール本陣をお願いして、早速やって来たビールちゃんをグラスに注ぎ、さっそくごっくん。うま〜い。ダークビールの割にはすっきりとしているがしっかりしたコクもある。ってよく見ると醸造元は水口じゃねーか。まぁ草津で醸造すると群馬県の草津の地ビールと混同しかねないしなと思いつつ、やって来たおまかせ定食は天ぷら冷やしうどん+タケノコの煮物にご飯。ってうどんがやっぱりうまい。タケノコの煮物も関東のように醤油と砂糖で下品な味付けしたものとは全然違う。うーんビールが旨いとあっという間に平らげてしまった。

ズラかぶってご満悦の酔っ払い

草津宿の町並み
草津宿街道交流館に寄り道
でビデオやら模型やら色々展示されていたが、中でもすごいのは昔の旅グッズが手にとって触れるのと衣装も試着可で駕篭にも乗り放題と太っ腹な所を見せている。で俺様は衣装は俺様のケモノのニオイがうつるといかんので遠慮してズラだけ装着させて頂いた。草津宿本陣とのセット割引も有るのでおすすめです。

瀬田の唐橋

大津事件跡の碑

道路を電車が

旨いうどんと旨いビールで蘇った俺様は大津宿に向けて歩いていくがさすがに燃料は十分だがサスペンション周りにガタが来ているようで(足の裏の痛みやら足首や膝の痛みなどを言っているらしい)途中野路一里塚やら野路萩の王川とか史跡で休憩しつつ、琵琶湖に向かって下るだけかと思えば結構坂を登ったり下ったりしながら瀬田川の畔にたどり着いた。あれ・・あんなところに瀬田の唐橋が・・
どうやら酔っ払いは道を間違えたようだ。 番外編:蹴上ー山科、石山−瀬田にも書いたがここらへんはありがたいことに曲がるべき所にだけ案内板が建っているのだが、案内板を待たずに曲がってしまったため道をしくじったようである。
まぁ瀬田の唐橋の写真撮るには良いポジションだなと思いつつ休憩。おっあんな所に鮒寿司が浮いていると目が白くなって川に浮いている腐った鮒を指さしたりなんかしながら(こんな事書くと大津の人に刺されそうだといいつつ、しっかり写真に収める俺様。さすがに掲載は自粛します。)今後について考える。大津を今日のゴールにすべきか、それとも京都まで行ってしまうか・・・。
で大津の町を行くが親切な案内板のお陰で今度は迷うことなく曲がりくねった道をぐんぐん進んでい行くと明治24年5月11日警備中の巡査がロシア皇太子にサーベルで斬りかかって怪我をさせたという大津事件の石碑が立っている。
そんなわけで大津宿着17時55分。札の辻って事はすでに宿場に入っていたのね。さて三条大橋まで3時間くらいだなと気合いと根性で逢坂めがけて登っていくおいらを道路を走る京阪電車が抜いていく。

逢坂の石碑

大津と京都の境

夏祭り
東海道線のトンネルの真上を過ぎ、国道1号に合流。法面を見ると国道拡幅で相当山を削った様で、昔は相当険しかったんだろうなと、歩道を歩いていくとどこへ行くのか荷物満載の自転車が何台も過ぎていく。逢坂を登り詰めると今度は長い下り。登りも辛いが下りも結構足に負担がかかるのできついものがある。まぁこれで京都市街まで下るだけだと思いペースアップ。(実際は東山が有るのでまだアップダウン残っているのだ。)
で京阪電車の追分駅手前で旧街道を進むと大津市と京都市の境の標識。
あははついに来たぜ。ついに京都。(しばらく進むとまた大津市なんだけどね)でR1を歩道橋で越えまた旧街道に入るとなにやら六地蔵のお祭りとかでどえらい数の夜店と久しく経験していなかった人混み。思わぬタイムロスだが、久しく夏祭りなんか行っていない俺様はセンチメンタルな気分になった。なんせ夜店やら楽しいのだがこれが終わると夏休み終了も間近なわけで、宿題そっちのけで遊び回った子供の頃を思い出したりなんかしてな・・・な・・なま・・・生ビール売ってる!!。センチメンタルな気分は生ビールの泡と共に消え去り一気におっさんの俺様に戻ってしまった。にぎやかな夏祭りの旧街道を過ぎると今までの喧噪がウソみたいに静かな住宅街。そりゃそうだ。日もとっぷり暮れている。

来たぜ三条大橋

鴨川

三条大橋その2
で後は三条通りをまっすぐ・・・(後にこれが間違いであることに気づく。詳細は 番外編:蹴上ー山科、石山−瀬田を参照)最後の登り坂を登り詰め蹴上駅を過ぎたところでおいらが来た方向を指さして「そっち行くとどこへ行けるんですか」と2人組の若者に聞かれるが「いや、僕は大津から歩いてきたけどなぁ」で次になんたら公園ってどこですかと聞かれるが「すいません。判りません・・つーか標準語しゃべってる奴に道を聞いても無理だと思いますが・・・」で東山三条駅を過ぎるとまばゆいばかりの街の明かりが飛び込んできた。俺様のゴールにふさわしい演出をしてくれるじゃねーか京都(ぜんぜん演出じゃ無いと思う)さすがにおいらも感動でこみ上げてくるものがあるぜ。 感動の余り、スローシャッターで写真撮ったら思いっきりブレました。
河原では俺様のゴールを祝して花火を打ち上げる若者や桟敷で宴会をする人たちでごった返し・・・(嘘)
で20時30分周りに悟られないよう一応小さくガッツポーズなんかして三条大橋を渡り・・俺様の東海道五十三次の旅は終えたのであった。

おまけ

で京都に着いたが、帰らないといかんので京阪電車に乗り込む。いや〜歩いていても結構な勾配だが電車に乗っても相当な勾配。 なんか電車のすぐ脇を車が走り抜けていく様はうーんやっぱヘンだと思いつつ浜大津で石山寺方面の電車を待つとやって来たのは大津市内で夕方散々見かけた2両編成の芋虫の様な電車。で膳所で東海道線に乗り換えたらうまい事柘植行きだった。ここまで混雑とは無縁だったがこっちは通勤ラッシュの様で結構混んでいる。(とは言え川崎あたりの東海道線に較べりゃ天国ですが)でも南草津でぞろぞろ降りていったので席に座り、デジカメの画像をPCに転送したりしつつ貴生川駅着いたら22時。ちょっぴり残した気力と体力で岡崎まで2時間半でかっとばしたところで、睡魔が気力と体力を上回ってきたので東名に乗っかり1時間走っては2時間PAで爆睡しつつ9時間余りでおうちに帰り風呂に入ってメシ食って爆睡したのであった。

※1 300円万歩計は途中で故障。実際の距離は40km近く有るはず。
※2 およそのガソリン代+と駐車場代と高速代+電車賃


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