日時 | 宿場 | 天候 | 所要時間 | 歩数 | 距離 | 交通費 |
2004年4月24日 | 薮原〜宮ノ越 | 晴れ | 1時間55分 | 12819歩 | 9.45km | 約410円 |
![]() 藪原駅 ![]() 木曽川 ![]() 木曽駒ヶ岳 ![]() 旧道の看板 ![]() 自然に還えりつつある旧道 ![]() 巴淵の石碑 ![]() 巴淵 ![]() 宮ノ越宿 ![]() 明治天皇小休止処 ![]() 木曽駒ヶ岳 |
というわけで、木曽福島の町営駐車場に車を停めて、時刻表を見ながら、塩尻方面に歩いていくか薮原まで行って戻ってくるか考えた。なんせこのあたりの中央本線は、1時間に一本どころじゃないのんびりとした間隔で走っているので、計算が外れると駅のベンチで1時間無為に過ごしかねないのだ。とりあえず13時ちょうどの列車に乗りこちらに戻ってくるということにして木曽福島駅に向かうのだがこれがまたえらく遠い。坂を登り詰めて駅に着くと塩尻方面への列車がまもなく到着するのアナウンスが流れており、大あわてで切符を買って無事に電車に乗って藪原駅着
13:16宮ノ越宿を目指して出発。
木曽三川三十六景の一 伝説の残る巴が渕 歴史が漂うこの渕は,巴状にうずまき巴が 渕と名づけられた。 伝説には、この渕に龍神が住み化身して 権の々中原兼遠の娘として生れ、名を巴 御前と云った。義仲と戦場はせた麗将 巴御前の武勇は、痛ましくも切切と燃えた恋の 証しでもあった。巴御前の尊霊は再びこの渕に 帰住したと云う。法号を龍神院殿と称えられ、 義仲の菩提所徳音寺に墓が苔むして並ぶ。 絶世の美女巴は、ここで水浴をしまた泳いては 武技を練ったと云う。そのつややかな黒髪のした たりと乙女の白い肌えには.義仲への恋慕の情が ひたに燃えていた。岩をかみ蒼くうずまく巴が渕、 四季の風情が魅する巴が渕。木曽川の悠久の 流れと共に、この巴が渕の余情はみつみつとして、 今も世の人の胸にひびき伝わわる。 蒼蒼と巴が渕は岩をかみ 黒髪愛しはほととぎす啼く 日義村 日義村観光協会
というわけで巴渕とは巴御前がこの淵で武術の鍛錬を行ったことに由来するらしい。巴御前・・・お強い女性だったようです。 で再び街道を歩き始めると汽笛の鳴り響かせ塩尻方向から木曽福島へ向かう列車がやってきたがどう考えても間に合いそうに無い。かといってここから木曽福島まで歩くと16時くらいに到着することになる。 A案 木曽福島まで歩く。は帰りに南信濃村で温泉入って生き返るプランが潰れるのでボツ。 やむなく時刻表とにらめっこしながら次の手を考えた。 B案 次の電車が来るまで宮ノ越宿で義仲館見学などで時間つぶす。これも難しそうなのでボツ C案 次の駅原野まで歩く。俺様の明晰な頭脳で計算すると原野まで40分、待ち時間10分 我ながら完璧と思えるC案を採用し、駅前を通り過ぎて爺さん婆さんらしか見かけない静かな旧街道をてくてくと歩いていくと明治天皇小休止処の碑が建っている。このような石碑は東海道至る所にあったが、東海道のは遷都の際京都から江戸を目指したものだろうが、中山道のはなんでしょう。また帰ってからの調べ物が出来たな。など思いつつ木曽谷のわずかな平地に広がる水田を見下ろしながら通りゆく人も車もまばらなのどかな旧街道を進むとやがてポツポツと人家が増え始め、予定通りの時間で原野駅に到着した。ホームに立つ乗客は俺様一人でやがて来た電車も降りる人はなく、なんだかわざわざ俺様のために電車一本停めたようなものでなんだか申し訳ないような気分であった。 |
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