十二日目 東名高速岡津バス停〜遠州鉄道第一通り駅まで

日時宿場天候所要時間歩数距離交通費
2002年7月17日袋井〜浜松雨のち曇り6時間20分約41954歩31.4km6150円

雨の松並木

袋井東小学校脇の一里塚跡
そんなわけで東名高速バスで一路前回のゴール地点、東名岡津バス停を目指すが安倍川越えたあたりで雲行きが怪しくなり、牧ノ原では雨が降り出し岡津に着いたら夕立の様な豪雨。この状況じゃ傘だけじゃ辛い。上半身は濡れても着替えがあるのでいいがズボンの替えは無いので、カッパのズボンだけ着用・・・。で間の宿原川を過ぎ原野谷川を越えそのままR1を歩く。で雨もようやく峠を過ぎたようなので地下横断歩道で雨をしのぎつつカッパズボンを脱ぐ・・・。おかしなことにズボンがなぜかびしょびしょ。雨とは言え30度近い気温のなか1時間もカッパ着て歩いてりゃサウナスーツ並の効果はあるな。というわけで雨は防いだが、おいらから染み出す汗でずぶ濡れになっていたのであった。
それと例によってまた道間違えたろ俺と地図を見るとやはり間違えたようで本当は原野谷川を渡って左に行かないといけないのだがまっすぐ井一号線を歩いていたのであった。工場の間を抜け松並木の残る旧東海道に出た。いやえらいぞ袋井市。車道と歩道の間の松並木を土塁で高くしてあるから車が水たまり突っ込んでも問題なし。なにより歩きやすい。また近辺には名刹も多くあちこちに道標が立ってます。
で雨も止みそして時計の針がちょうど12時を指した頃、突然の大音響にビビる俺様。運悪く広報用スピーカの真下にいたもんだから延髄斬り並の威力で俺様の耳から後頭部に突き抜ける。これでもF4ファントムやらFA-18ホーネットの爆音で30年来鍛えているだが・・・。ところでお昼のチャイムがポールモーリアの恋はみずいろでしたが袋井となにか関係あるんでしょうか?

袋井宿東本陣跡
なんとかダメージから立ち直り、スタートから1時間15分ほどで袋井宿。歩いてたらどまんなか茶屋に呼び込まれお茶をごちそうになる。でご芳名帳を渡されたので「俺様」(もちろん書いたのは実名)と書いておいたがすでに本日おいらを含めて5名ほどの旅人が休んでいったようだ。でいろいろ袋井のパンフレットやらお隣の見付宿(磐田)の資料まで貰い20分ほど休憩・・・。ここはなにやら俺様のような怪しい旅人を親切にももてなすだけでなく市民の交流の場となっているようでふと見るとパソコンレッスンの受講生の紙が有ったが・・・
講師はパソコン歴40年のベテランです。
ってパソコンという言葉自体80年代・・・その前のマイコンだって70年代後半。40年前と言うとおいらが生まれる以前の60年代前半って事は半導体メモリの代わりに磁気コア。記録媒体は紙テープ・・まぁベテランには違いないけどそんなものパーソナルコンピュータとはいわんと思う。
さて再び歩き始めると・・・「大石内蔵助他赤穂浪士御宿泊所」と書かれた東本陣跡。

木原一里塚
で宿場を過ぎるとまたもやR1に出てしばらく西進し右手の脇道にそれると木原一里塚。
近所には家康君と信玄君の兵隊さんが小競り合いしたと言われる木原畷古戦場。その後の三方原の戦いで家康君は大負けして馬上でうんこ漏らすほどビビリながら逃げ帰り・・・でも信玄君はすぐに病気で倒れてお星様になり、その後息子の勝頼君を鉄砲で撃ちまくった信長君が火だるまになり、秀吉君がお星様になった後無事天下を治めることと相成ったわけだな。

サッカーとトンボのまち磐田

見付学校
でまたまた歩き始めるとサッカーとトンボのまち磐田市に入りR1バイパスをくぐり・・前方には薄暗い山の中を抜ける道と右に山を迂回する道がある。右側には松並木もあるのでこっちだろうと進むとR1に出てしまった。一応旧東海道と看板には出ているが・・大正の道。まぁ現在の東海道がR1なら大正の道が旧東海道でも間違いじゃない。地図を確認するとしばらく先で合流するようだしこのままR1を行くか。
んで坂のてっぺん辺りに大盗賊日本左衛門の供養塔がある遠州鈴ヶ森が有ったがなにやら生臭い臭気が漂っていたのであんまり霊感無い俺様だが寄らずに通り過ぎ(階段がきつかったのでパスしたとの噂あり)、またR1を逸れてえらい急な坂を下ると東木戸跡というわけで見付宿。有名な木造5階建ての見付学校に立ち寄りパチリ。明治8年開校らしいがいつまで現役だったんだろう?。
で姫街道との分岐手前の公園で顔なんか洗いつつ一息ついていると「どちらから来なすったんじゃ」と爺様に訊ねられたので

俺様
「相模の国から来て今日は掛川から歩いて今日は浜松目指してます。」

爺様
「そうか京都まで行かれるのかご苦労なこった。」
俺様
「とりあえず袋井で半分だし、箱根、日坂としんどいところは過ぎましたからねぇ。」
爺様
昔は天竜川は船を並べて渡ったりしたもんじゃ。で天竜川を使って丸太で筏組んで磐田まで運んだものじゃ。でその天竜川に架かる橋には歩道がないんじゃ。気をつけて行かれるがよい。」


ジュビロード

武田修宏・・
名波浩。俺様に負けない位扁平足だったのか。

尾崎勇史
そんな会話の後、お姫様じゃない俺様は姫街道ではなく東海道を進むと商店街になっていた。その名もジュビロード。
ジュビロード
さすがにジュビロ磐田のホームタウンである。足元には選手の足形とサインがタイルになって埋め込まれている。
(GKは手形ね)
だが・・・武田修宏・・・。いたっけ?(ベルディから解説者だったけ?という程度のサッカーの知識の俺様。そーいや京都にもいたのか)
名波・・・おいら同様土踏まずが無い。扁平足というハンデを乗り越え?走り回る名波に、同じハンデを抱え東海道を歩く俺様はなにやら親近感を覚えずにいられなかったのであった。
でゴン中山の足形を探してうつむき加減で歩いていたら磐田駅前まで来てしまった。どうやらゴンの足形は車道を挟んで左側の歩道にあるらしい。
後日、姫街道を歩くべく磐田駅から再びジュビロードを歩いてたらゴンの足形は 磐田駅に向かって左側の歩道に埋め込まれてました。
下ばかり見ていたせいか東海道の標識を見落としたのかそんなものなかったのか知らないけれど駅前まで行くと行き過ぎのようで地図によると一本手前の道をを右に行かなければいけないようである。

天竜川橋

天竜川橋2
で緩やかなアップダウンの磐田市街を抜けると豊田町。爺様に危ないと言われた天竜川に辿り着く。大井川程じゃ無いが結構な距離だ。下の写真の通り歩道はなくしかも水たまりを避けるには車道側に出ないといかん。おまけに普通車に混じり10tダンプが道一杯に迫ってくるし相当危ないのだ。まぁこっちは昭和の初めの橋だからしょうがないが、新しい隣の新天竜橋も同じような状況でしかもあちらは片側2車線も有るのに歩道は無い。勢いよく走られて風圧で巻き込まれちゃえらい事になるので仕方なしにわざとフラフラ歩いて後ろの車にブレーキ踏ませて渋滞作って安全にGo作戦でご迷惑を掛けながら天竜川橋通過。いや〜今までかいてた汗が一気に引いたぜ。

金原明善の生家

第一通り駅

電車行っちゃった〜
で天竜川を越えようやく浜松市。ここまで4時間余り。
しばらく行くと金原明善の生家と記念館。天竜川の氾濫を防ぐため堤防を築き、さらに上流に植林する今で言う緑のダムを作ったということらしい。まぁ今の土木関係の役人には耳の痛いお話だな。この川の最上流は諏訪湖なわけで康夫ちゃんが県知事やってた長野県。康夫ちゃんは好きでは無いがダムは極力建設しないという姿勢は賛成。川の流れを止めたら酸素がとけ込まなくなってバクテリアによる有機物の分解が進まないので湖水は富栄養化して相模湖やら城山湖状態になるし、流れ出た土砂や流木やら葉っぱが堆積して湖底がどんどん上げ底状態になってしまいには洪水調節なんかできなくなるのがオチだからな。
でいい加減疲れてきたが駅前の途方もなく高いビルまで結構あるな。ほとんど平地だから同じ筋肉ばかり使っているんで疲労度が激しいのかなぁと思いつつ味気ない国道を歩きつつスタートから6時間20分で本日のゴール地点である遠州鉄道第一通り駅着。ここから「自動車学校前」というバス停の様な名前の駅で下車して、酒屋でビールなんか仕込み東名高速バス浜松北バス停から3時間バスに揺られるのだが・・ そろそろ日帰りは辛いのでなんかうまい方法を考えないといかんなと思いつつ爆睡。

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姫街道 見付〜安間へ迂回する(東海道に戻れません)
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