日時 | 宿場 | 天候 | 所要時間 | 歩数 | 距離 | 交通費 | |||||||||||
2004年10月30日 | 加納〜太田 | 曇りのち雨 | 5時間56分 | 30668歩 | 21.47km | 13741円 | |||||||||||
まえがき ホテルで天気予報を見ていたら昨日は何とか雨に降られずに済んだが今日は確実に降るらしい。まぁ3日間雨降りっぱなしの伊勢街道に較べれば大したこと無いのだがやはり憂鬱である。 で例によってスケジュールが「名古屋泊まって前回まで歩いたところから歩けるところまで歩く」と非常に大雑把なので、前日のゴール地点までどうやって辿り着くかなんかは出発当日の朝にホテルでコーヒー飲みながら決めているのである。 昨日のゴール地点は名鉄各務原線の新那加か高山本線の那加だが、昨日高山本線乗ったし、若干名鉄の方が近いのでこっちで行こう・・ うーん。新岐阜回っていくのが良いのか犬山経由の方が良いのか。これは来た電車で決めるほか無さそうである。どっちもそんな変わるわけではないし。と犬山行きの急行に乗り込む | |||||||||||||||||
![]() 新那加駅前 ![]() 各務原市民公園 ![]() 名鉄各務原線の跨線橋 ![]() 各務山その2 ![]() 各務山その3 ![]() 犬山遊園 ![]() 鵜沼宿 ![]() 鵜沼宿の街並み ![]() 芭蕉句碑 ![]() 芭蕉句碑 その2 ![]() これよりうとう峠 ![]() うとう峠途中の坂その1 ![]() うとう峠途中の坂その2 ![]() うとう峠途中の池 ![]() うとう峠の石畳その1 ![]() うとう峠一里塚 ![]() うとう峠の石畳その2 ![]() うとう峠の坂 ![]() うとう峠入り口(坂祝側) ![]() 国道21号と高山本線をくぐるトンネル ![]() 鳥と岩in木曽川(Zoom) ![]() 鳥と岩in木曽川(標準) ![]() 木曽川 ![]() 日本ライン ![]() 木曽川の岩 ![]() 坂祝駅 ![]() 坂祝の街並み ![]() 坂祝町酒倉 |
加納〜9時26分昨日のゴール地点の新那加駅前からスタート。今のところ雨は降っておらず本日のメインイベントである「うとう峠」越えるまではこのまま降らずにいて欲しいところである。10分ほど歩くと「各務原市民公園」という古木が生い茂るだだっ広い公園に差し掛かった。ここは元岐阜大学の敷地だったようで移転後は古い木を残したまま公園としたらしい。今日は鵜沼宿まで殆ど国道21号やら国道だった所を歩くのでこういった緑はうれしいのだが歩き始めてからまだ10分では休むわけにもいかない。 それでもキンモクセイの大木の下を通りかかったときに花は散っていたがほのかに香りが残っており良い感じである。 そんなわけでアロマリフレッシュにより蘇った俺様は(まだ10分位しか歩いていないが・・・)程なく、各務原市役所前に差し掛かった。間違い無く雨が降る様な陽気だというのに駐車場にはなにやら観光バスが停まっておりどこかへお出かけの様である。とってもご苦労様と思いつつ、そんな中を歩く俺様はもっともっとご苦労である。 市役所を過ぎると右手には自衛隊の各務原飛行場があるのだが、土曜日だからかなにも飛んでおらず、ただでさえ旧街道の面影とはほど遠い所を歩いているのでひたすら歩く一方、これでは後でほーもぺーじ載せる文章考えるの大変だよなぁと考えながら歩いていると、名鉄各務原線の六軒という駅の前に差し掛かった。 そーいや醒ヶ井宿にも六軒という地名があったような・・・あそこは茶屋が六軒あったので六軒だがここもやはり茶屋かなんか有ったんだろうか。 でも来るときに各務原線には「二十軒」という駅も有ったよなぁと考えていると傘を差すほどではないがポツリポツリ雨が降ってきた。 中山道は国道21号に合流し、その先で名鉄各務原線を跨線橋で越えるのだが歩道がなかった。 まっすぐ行けば「なんかあるべ。」と跨線橋を進まずにまっすぐ行くと川崎重工の門があり、その脇に歩行者用の跨線橋が設置されていたが、跨線橋の手前に「歩行者、自転車はこっち」とか看板くらい出しておいても良いと思う。 というわけで無事に?名鉄各務原線の跨線橋の頂上を10時12分に征した俺様の視界に広がったのは荒涼とした赤茶けた禿げ山だった。 地図で確認すると各務山というらしい。美濃赤坂の様に石灰岩を採掘しているのか砂利を掘り出しているのか知らんが人の手で切り崩した様である。 せっかく登った跨線橋を下り、三柿野という駅を過ぎ再び国道21号を歩くのだが、駅名は三柿野なのに信号の地名は川崎町でどうやら川崎重工に由来するらしい。 一企業の分際で由緒ある地名を変えるとはと憤慨しつつさらに進むと三ツ池町となっており、なんか神奈川に戻って来たような気がした。 一方道路状況は、所々歩道橋がない箇所が有ったりするのでなかなか危険である。車道は片側2車線なのに・・・・ これまでは名鉄が左側に平行して走っていたが、代わって高山本線の線路に沿って進んでいく。すると踏切の警報が鳴り響いた。 ちょうど各務山をバックに一発写真を撮るかと構えて列車が来るのを待っていたのたが、どうにもデジカメのシャッターは押してから一呼吸の間があるためタイミングがとっても難しい。 列車の先頭を収めるつもりが結局2両目と3両目の間あたりになってしまった。 やがてえらい質素な高山本線の各務原駅を過ぎ、今度は高山本線を跨線橋で越えた時に振り返ると各務山がずいぶんと後方に有った。 やはりデジカメは時計内蔵していると便利だなぁ。このときの時間は10時52分だそうです。 再び国道21号を左に逸れてしばらく行くと公園があったので木の下のベンチで休憩する。羽場公園というらしい。実はトイレを拝借したかったのだがおばちゃんがせっせと掃除しているので、雨宿りしているフリしてタバコなんか吸って、掃除が終わるのを待っていたのだが一向に終わる気配がない。 仮にもおばちゃんとは言え、女性の前で用が足せるほど図太い神経を持ち合わせて居ない俺様は、加えていたタバコを携帯灰皿にグリグリと押し込みつつ、もうしばらくで鵜沼宿だしトイレぐらい有るだろうと渋々羽場公園を後にした。 まぁトイレもそうだがさっきからぼちぼち腹減ってきたのでこっちも鵜沼宿に期待しよう。これまで国道21号沿いに飯屋は有ることにはあったが、開店が早い店でも11時だったので素通りし、まぁガストとか牛丼屋などチェーン店は有ったが折角見知らぬ地に来て普通のもの食って帰るのも癪だしなぁ。なにせよほどのアクシデントが無い限りネタにならない。 で腹ぺこを抱えながら何やら気が付くと、知らず知らずのうちに坂道を登ったらしく、ずいぶん下の方に国道21号が見え、遙か彼方に犬山遊園の観覧車が霞んで見える。 下まで行けば飯にありつけそうだし、鵜沼宿まで行けばなんかしら有るだろう。 と歩くこと5分あまり、11時25分鵜沼宿に入った。・・・・ なんにもねぇ!! 飯屋もトイレも写真の通り無さそうである。その代わり芭蕉句碑があり「更科」という文字だけは読み取れたが、すでに俺様には更科で思いつくものといえば「蕎麦」しか思いつくことが出来ないほど腹が減っているので、説明は後で確認しようと解説された案内板を写真に収めて通り過ぎた。
頻繁に旅立って超人的な移動をこなし、その上泊まるところは本陣と来れば芭蕉=幕府の隠密説も納得ができる。
折角鵜沼宿について案内の看板が有るのにそんなものには目もくれず、飯屋はどこよ等と考えながら、緩やかな坂を下りぼちぼち国道21号に再び合流するちょっと手前で俺様の視界に突如絶望的な石碑が飛び込んできた。 「ここは鵜沼宿、これよりうとう峠」 ってことは峠の茶屋なんぞあった江戸時代ならいざ知らず、ベンチなんぞ有ればまぁまぁという現在では峠越えるまで飯屋はあり得ないわけである。 まぁ最悪の事態を想定して非常食のカロリーメイトが有るのでそいつで何とかがんばろうとうとう峠向かう坂道を登っていったのはいいが、どう見ても普通の住宅街である。景色を見渡すと結構高いところにいるし、これで間違いだったらしんどいなぁと登っていくと、池に差し掛かり、地図と見比べたところどうやらこの道で合っていそうである。 一段と雨がひどくなってきたが歩道を覆うように生えた木々のおかげでうまいこと雨を避けながら坂を登っていくと「日本ラインうぬまの森」の看板が建っていた。
さらに下っていくと石畳は無くなり、落ち葉の積もったハイキングコースのような中山道を下っていくと、木立の向こうからトラックの走る音が聞こえてきた。 やがて視界が開けたところに「坂祝町」の名のある看板が建っていた。どうやら各務原市を抜けて坂祝町までやってきたようである。
しかしまた、隣には無駄に大きな「姫街道」看板がある。 で大雨降ったら通れなくなりそうな高山本線と国道21号をくぐる水路兼通路を通ると、増水して激しい木曽川の流れが飛び込んで来た。 濁流の中にぽつんとそびえる岩のてっぺんに何かいる。鳥だというのはわかるが何という鳥かというところまでの区別は・・というか、俺様の鳥に関する知識が足りないせいも有るだろう。目一杯ズームしても鳥で有ることは間違いないとしてそれ以上の事はわからなかった なにはともあれ、なんかすべてを超越した神々しい姿に思えてしまう。 さて、いつまでも見とれているわけにもいかんので我が身に降りかかる現実を見つめると、とっても急な階段を上がって喫茶店の駐車場までよじ登らないといけないようなのでゼェゼェハァハァといいながら登ってみると喫茶店があり、一応飯にありつくことが出来そうだが、喫茶店メニュー程度ではお腹と背中がくっつきそうな俺様の胃袋は満たされないので通過。続いて隣にあったラーメン屋も通過。 腹減って死にそうとかいっている割に我が身のわがままさにあきれながら、どうやらこの先木曽川沿いには歩道が無さそうなので歩道のある反対側に渡った。 雨には降られたけど、木々の中を流れる木曽川も水墨画のようでいいもんだなぁとマイナスイオンをたっぷり浴びつつ歩いていると、現在歩いている歩道と高山本線の間に石畳を模した歩道が雑草に覆われていた。やはりカロリーメイトだけでは全然足りないし、あふれんばかりのマイナスイオンも全く腹の足しにはならないし、雨もひどくなってきたし・・・。すると前方に焼き肉屋の看板が見えた。ただ名前がなぁ。聞き覚えのある知り合いの名前を冠した○○○屋かよ。 文句を言いつつも12時50分、○○○屋の引き戸をガラリと開けると・・・・。珍しく先客がいた。 ここんところ遅めの昼飯ばかりだったので、戸を開けると客が誰も居ないとか、店主が座敷に寝そべっていたりとかいう場面にばかり遭遇していたのである。 でメニューを見るとカルビやらロースに混じって「とんちゃん焼き」なるものがあったので生ビールとともに注文。 飛騨地方の名物?で「鶏ちゃん焼き」という鶏の肉やら臓物を独特な味噌だれに漬けて鉄板の上で焼いたものは知っているが、おそらくそいつの豚バージョンだろうと思いつつ運ばれてきた生ビールをもう半分ほどやっつけてしまった頃、そいつはやってきた。 予想通り、味噌ダレに漬けた豚の臓物を鉄板で焼いたものである。 うめぇ 飯がいくらあっても足りねえぜ ただ下ごしらえが今ひとつなのか若干臭みは有ったが・・・・ と夢中になってやっつけていると、よそのテーブルでは「猿が柿を食い荒らす」とか「イノシシが・・」と野生動物と戦うお百姓さんの会話が聞こえてきた。 ハクビシンをよけ損ねて交通事故 狸がゴミ箱漁って困る というような大都会に住んでいる俺様には信じがたい会話が繰り広げられていた。 デザートのリンゴをやっつけて再び御嵩へ向けて出発。 飯食っている間に少しは小やみになったかなぁと期待をしていたが、相も変わらずザーザー降りである。 しかしまた旧街道の面影が全くない国道21号の歩道を歩いて、トラックの水しぶきを食らうより木曽川の土手でも歩いた方がマシだろうと判断し、遊歩道となっている木曽川の土手に向かった。なにやらペンキで「日本ライン」と書いてある。 そーいやこのあたりの木曽川はドイツのライン川をパクって「日本ライン」と称している。残念ながらドイツに行ったことはないので蘊蓄もここまでで、「いや〜ライン川に較べるとねぇ」の様な蘊蓄を装った自慢が出来ないのが残念である。 その「日本ライン」に目をやると、ひたすらでっかい岩が有るばかりでバーベQとか出来そうな河原というか平らなところがまるで見あたらない。なんというか荒涼とした風景である。 ふと人が住んでいる方である俺様から見て国道21号を挟んで左側に目をやると、一本の路地の両側に家々が連なっており、もしかしてあっちが中山道?と坂祝の駅の方に向かってみる。 実は雨もひどいしここで切り上げる事も考えたがまだ13時半だし、しかもさっきとんちゃん焼きを流し込んだ黄金の液体は何?あんたそれで車乗って帰るつもりなの?という事もあり、マイナスイオン一杯の中を歩くことにした。 高山本線の脇を歩いていると、「A」「エー」とかアルファベットとその下に読み仮名がふってあった。まぁ通学時に毎日見てれば覚えるだろうという大人の浅ましい知恵の様である。いくら子供でも毎日同じものを見てれば興味も薄れるだろうに・・・ つか21世紀になって未だに戦争しているような頭の悪い民族の文字なんざ26文字しかないんだから50音覚えるよりかは簡単だろ! さて、高山本線の線路沿いに進み、小学校やら役場を過ぎたらイカした地名に出くわした。「酒倉」とある。 それは良いけどなんだか道の様子が違う。地図を確認するとどうやらそのまま国道21号を進んでいれば良かったようである。 仕方なく工場の壁沿いに国道21号の方角に向かって歩いていくと、当然ながら歩くにはあまりに味気ない国道21号に突き当たったのだが、壁沿いに歩いた工場は「パジェロ」作っている工場だった。「パリ・ダカールラリーで幾度も好成績を上げ・・・」というより今や数多のリコール隠しが発覚したためマイナスイメージを未だにぬぐい切れない車作っている所である。など書かれて見るものみんなネタにしてしまう俺様の餌食になってしまった可哀想な車作っている所である。 | ||||||||||||||||
![]() 美濃加茂 ![]() 日本ライン下り ![]() 日本ライン下りその2 ![]() 太田宿の街並み ![]() 太田宿本陣門 ![]() 旧太田脇本陣林家住宅 ![]() 御代桜酒造 ![]() 太田橋 ![]() 太田橋可児市側 |
なんだか余計な寄り道をしたようだが14時10分、太田宿のある美濃加茂市に入った。 いや、寄り道ではなく道を間違えたようで本来のルートは、木曽川の土手を歩いていないといけないらしいので、国道21号線を横断し土手に出た。例えこっちが間違いだとしても川沿いを延々歩いた方が車の心配もいらないし、気分も全然ちがう。しかしまたこの増水した木曽川をライン下りの船が下っていった。おそらく平水時よりえらく早く犬山に着くんじゃねーだろかと余計な心配をしてしまう。 しばらく土手を歩いていたが中濃大橋手前にて東屋が有ったので休憩した。東屋よりもぼちぼちトイレが有るとうれしいのだがと勝手なことを考えつつ、足を止めたついでにリュックサックの防水カバーの具合を確認したが調子よく水をはじいてくれており、浸水は無いようなので一安心である。伊勢街道を歩いたときには地図が雨で濡れてしまい、しかもインクジェットプリンタで印刷したものだからたまらない。伊勢神宮にたどり着く頃には地図はもはや判読不能となっていた経験から地図を確認すると濡れてはいなかったが、もうちょっと手前で土手を下って左手の方に進むのが正しいルートの様でなので、保育園の脇を抜け、中山道に復帰。 中濃大橋をくぐった後に、左直角コーナーを曲がり十字路を右に後はしばらく道なりとさっき地図見たときにここまで覚えた。まぁ俺様の脳味噌では3つ位のステップを記憶するのが目一杯だし、それ以上は三歩歩くときっと忘れてしまうに違いない。 そんなわけで、14時34分に太田宿に入った。すぐに太田宿本陣の門があったが門だけ残るのも不自然なのできっと復元だろうけど、石碑だけよりもいにしえへの想像力をかき立てられるのでなかなかいい。 と思った俺様の認識が甘かった。下の通り江戸時代後期に作られ、移築や修繕を経て門だけ残ったと看板に説明があった
歩きじゃ無ければ、買っていくのだが荷物が㎏の単位で増えるのでやめておいた。 で旅籠だった小松屋さんを現在、お休み処(無料)として公開されているので寄ってみる。実はトイレを借りに来たのだが、雨宿りついでに見学させて頂くと、まずは中山道についての説明書きが記されていた。
生まれは越中河内村で生まれ、槍ヶ岳初登頂の後、誰でも登れるようにと鉄の鎖を掛けた後、 ここ美濃太田の脇本陣で息を引き取り、祐泉寺で盛大に弔われた。 播隆上人については、新田次郎著「槍ヶ岳開山」という小説にもなっている。 で隣には、「芸術はバクハツだ!」の名言で知られる岡本太郎の父ちゃんである岡本一平の写真と年譜が飾られていた。 どうやらお休み処ありつつ、美濃太田ゆかりの人に関する展示を行っているようだ。まぁ合羽着ていなければ畳の上でくつろいでしまいたいが、脱ぐのも面倒だったので早々に一旦表に出て用を足して、再出発。 程なく宿場を抜けた頃、車に乗った親子連れの父ちゃんに呼び止められ「このあたりにスポーツ用品店あった?」 という想定外の質問を食らいしばし唖然。さすがに「知るかボケ」というわけにも行かないので、「この通りに無ければ21号沿いには無いよ〜」とちょーテキトーに答えておいた。今なら今渡の駅の近所のバローでも行けば有るんじゃないともう少しまともな答え方ができるんだが・・・ なんせ、これを書いているのが11月の末で、26,27日で今渡から恵那まで歩いてしまい、いい加減こっちを完結しておかなければならないわけで大変なのである。 さて話は逸れたがその後、宿場を出たところで本来のルートは木曽川べりに行かなければいけないのだが、こっちもルートを逸れてしまい国道21号をそのまんま歩いてしまった。 で太田橋のたもとに辿り着いて愕然とした。いままで俺様の道中の安全に大変な寄与をしてくれた歩道が途切れ、東海道の天竜川橋並の危険地帯となっていた。さすがに車が向かってくる中、傘をさしてシャッター切るのは無理だったので車が来ないうちに写真を撮ったのでわかりにくいが、背の高い車が来ると傘がぶつかりそうな狭さである。そんな中、反対車線ではおばちゃんが自転車乗って悠然と橋を渡っていた。 なおこの橋の中間点から日本ライン下りの船の発着場・・・いや下るのみなので出船場になっており犬山まで行くことができる。 もう十分過ぎるほどマイナスイオン堪能したが雨の船下りも乙だよな。熱燗片手に・・・と思ったが川下りは出来ても川上りが出来ないので あきらめて危険な橋の後半部分を渡り可児市に入った。 なおこの太田橋は現在工事を行っており、工事完了後には歩道が出来るらしい。 時刻は15時10分を回り、ゴール予定の御嵩駅まで残り10km程度、2時間半程度の所用時間だが17時過ぎるともう暗いし、ここなら「日本ライン今渡駅」に近いので、今渡交差点で切り上げることにした。 |
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