八日目 岳南鉄道吉原本町駅〜東名高速バス興津BSまで

日時宿場天候所要時間歩数距離交通費
2002年6月28日吉原−興津6時間20分42568歩32km3530円

小動物って?タヌキ?イタチ?

岳南富士岡駅

昔こんなのが東横線走ってたなぁ。

番外

というわけで 前回、中里バス停付近があまりにすごかったと言うような発言が有りましたが撤回させて頂きます。下り線側はとても瀟洒な住宅街です。
でも・・バス停入り口にドアがあり、小動物の侵入を防ぐため開けたら閉じてねと書いてあった。
でここから吉原本町に行かなくてはいけないのだが、唯一?の交通機関である岳南鉄道の時刻表だと30分待ち確定なので前回利用した須津(すどと読みます)じゃなくて一個吉原本町寄りの岳南富士岡目指してGO!!。
と岳南富士岡に着くが結局30分待ち。どっちからでも徒歩10〜15分なのね。
駅の周りを見渡すと、昔東横線を走っていた通称青ガエルが放置プレイ。
元東横線住民だった俺様は感動の再開にむせび泣くのであった。
この岳南富士岡駅は日中は無人駅のようで路線バスのようにやって来た電車の車内で整理券を受け取り、吉原本町で下車の際に改札で運賃を支払い、にわか鉄オタは再び東海道の旅に戻るのだった。
以上番外。

間の宿 本市場

鶴芝の碑だが人の家の庭先に・・

で鶴芝の碑から富士を見ると鶴がとまっているように見えたらしいが・・
吉原本町駅からスタートし、しばらく商店街沿いに進む。
しかしこの商店街を見る限りまだまだ日本は不況のようである。
でしばらく行くとしっかりと蒲原宿を示す標識が建っている。偉いぞ富士市!。
で案内に沿って行くが西富士道路とR1を結ぶ大きな通りに出たところで道に迷ってしまった。
どうも標識は道なりまっすぐの所には設置されていないようだが、大きな通り挟むと”道なり”が判らなくなるので欲を言えば改善した方が・・・
でふと見ると”スマル亭”発見。
駿河湾沿いに展開する立ち食いそば(うどん)のチェーン店だが地の利を活かしてメニューにはシラス天と桜エビ天がヨソ者には感動の味。
もちろんゴージャスに、シラス天+桜エビ天そばを注文。またネギが青ネギなのでさらに感動。
まぁ鍋なら白いネギも良いが麺類には青ネギ。白ネギじゃせっかくのズズッズルズルと気持ちよく胃袋直行出来ないもんな。なんせこの時期白ネギは堅いので噛まなくちゃいかん。せっかくのそばの喉ごしが台無し。つーわけで関東人お前ら間違っておる。等と思いつつ
(俺様生まれは横浜。育ちは神奈川県の山中ですがなにか?)
前回は
沼津食わずで原減った
(飲まず食わずで腹減ったとシャレているらしい。)
状態で歩き通したが今回はきっちり燃料も補充し再出発。で満腹の腹をさすりつつしばらく進むと間の宿 本市場の案内板。茶店などでにぎわったらしいが拡幅された道路に両脇に広がる田んぼと立ち並ぶ綺麗な家。もちろん当時の面影はない・・・。
続いて人の家の庭先に立つ鶴芝の碑。ここから富士山を眺めると山肌に一羽の鶴がいるように見えたらしいがあいにくの薄曇りで富士山すら見えなかった。

人権団体からクレーム付きそうな喫茶店。

本市場先の一里塚。

富士川・・魚道が役に立ってないぞ。多分。
で東海道は前方を中央分離帯に遮られ直進できない。
仕方なしに迂回すると・・喫茶クロンボ。他人事ながら心配な名前だ。だがおいらの心配をよそに結構繁盛しているようである。
旧一号線を渡り王子製紙脇の旧街道をしばらく進むと一里塚。
再び旧一号線に合流し身延線柚木駅脇のガードをくぐりほぼ予定通り2時間少々で茶色い濁流が轟音を立てて堰を越える富士川を渡る。
昔なら川止め確定だが今は立派な橋があるのでお構いなしにGo。

岩淵の一里塚

迷い込んだみかん山から伊豆半島方面をパチリ。
で富士川を渡り坂を登り、間の宿岩淵到着。しかし何でまたこんな高台に道作るんだよ・・まぁ考えたら富士川沿いに道作ったら洪水の度に修復しないといけないもんな。と思い一人納得。
前方に道を覆うかのように邪魔くさい大木が・・いわゆる切ったら災いが降りかかる祟りの木かと思ったら岩淵一里塚だった。
しかしまた直角コーナで見通しの悪いところに一里塚立てるなよと思いつつガイドブックによるとさらなる高台へ行かなくてはならないらしい。
ここだと思って右に曲がり東名をくぐるとえらくキツい登り坂・・。
まぁ畑の中に古びた石像もあるしなぁと延々登って・・・。
景色が良いので写真なんか撮って、やはり不安になったのでルートを確認するがどうやら手前で右に入ったようだ。
でも間違いに気が付いても後戻りはできない性格なのでそのまま旧東海道に合流できそうなルートを探して無事合流。
って結局1時間余りロスしてしまった。しかしその先は道路工事で全面通行止め・・・。
蒲原方面への迂回路は・・・旧一国に抜けてくれだとゴルァ!?
まぁ忠実に東海道を旅しようという人は、後日訪れるとかあるいは強行突破を試みるとかしないといけないので大変だがおいらの旅はスタートから不完全と銘打っているのでこの点気が楽である。
といいつつ富士山を拝めなかったり、道が通れなかったり、また間違えたりしたんで、2004年2月に再び歩いて来ました。
そのときのネタはこちら

みかんだソーダにいい茶じゃないか・・。

東海道広重美術館。館内写真撮影禁止なのでじゃ表から・・

美術館向かいの由井正雪生家

土垂峠から富士山じゃなくて富士市を望む。
と思わぬ工事迂回を余儀なくされ旧一号線方向に下り、3両編成で疾走する東海道線を眺めつつ緩やかな右カーブの先で旧東海道に再び合流して宿場町の面影残る蒲原宿。蒲原宿を過ぎるとまた旧一国。道間違えるわ迂回するわでロスした分、ペース上げたお陰で水分と糖分が欠乏・・・ふと見るとジュースの自販機・・それも100円。みかんダそーだとやや無責任なネーミングと値段に惹かれて購入し一気飲み。
これで生き返った俺様はやっと由比町突入。こちらも負けじと宿場町の面影が残ってます。
で由比本陣の跡地に出来た東海道広重美術館に立ち寄り・・・、ふと時計を見ると16時半・・・。
ここで重大な問題が発生。なんせ18時に興津に着かないと帰りのバスが19時・・。と言うわけでそそくさと薩土垂(た)峠を目指す。うーむ。難所と言うだけにとんでもない急勾配。さすがに景色は良いが富士山は残念ながら雲の中。
なにやら展望台が有るがタイムリミットが迫りつつあるのでこのまま先を急ぐ。
興津川を渡り時計を見ると17:55分。大慌てでコンビニでビールを調達し無事バスに乗り込んだ酔客は無事帰途に着くのであった。

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